Sunflowers(ひまわり)
1887年
黒く干からびた巨大な塊が、地平線のない不思議な空間に転がっている。
切り取られ、力なくうつむいた、等身大のひまわりの頭部だ。
ゴッホの「ひまわり」といえば、何を思い浮かべるだろうか。
多くの人は、南仏の明るい太陽のもと、花瓶に美しく活けられた黄金のひまわりを連想する。
あたたかい友情を象徴する絵。 一般には、そう語られている。
でも、実は。 ゴーギャンが本当に愛し、大切にベッドの上に飾り続けたのは、あの明るい黄色ではなかった。
この、黒く萎れかけたひまわりだったのだ。
1886年、ゴッホはフランス・パリのモンマルトルへ移り住んだ。
それまでの暗鬱な灰色の作風から完全に脱却したかった。
彼は印象派の色彩を急速に吸収していく。
「灰色による調和ではなく、強烈な色彩そのものの表現を試みたい」 色彩への探求。
それが、1887年の後半、この画期的な『ひまわり』シリーズへと結実する。
地面に切り置かれ、萎れゆく花を、彼はあえて等身大(ライフサイズ)で描いた。
都会の画壇で、運命的な出会いがあった。 ポール・ゴーギャン。
2人は、互いの絵を交換した。 ゴーギャンが強く惹かれたのは、この絵だった。
タヒチへの第二回渡航費用を捻出するために売却を余儀なくされるまでの数年間。
パリの自宅のベッドの上に、このひまわりをずっと大切に飾っていた。
だが、友情の時間は短い。 1888年末。 南仏アルルの「黄色い家」で始まった共同生活は、わずか2カ月で破綻した。
激しい衝突。 ゴッホは自らの耳を切り落とした。血まみれのベッド。
ゴーギャンは逃げ帰った。
引き裂かれた、2人の関係。 その後、ゴーギャンから一通の手紙が届く。
アルルで描いた「花瓶のひまわり」を譲ってほしい、という一方的な要求だった。 ゴッホは憤慨した。
「すでに君は2枚、ひまわりを持っている」 友情の破片すら、もう残っていなかった。

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