Portrait of Dr. Gachet (Second version) 医師ガシェの肖像(第2バージョン)

1890年

ポスト印象派肖像画
Portrait of Dr. Gachet (Second version)
寸法
68.0 × 57.0 cm
技法・素材
油彩・カンヴァス
所蔵
オルセー美術館(パリ)

光学的な色彩理論と自己の内面精神を融合させ、西洋絵画の造形言語を根底から刷新したポスト印象派の画家。

近代人が抱える精神的苦難と孤独への深い共鳴。 自らの憂鬱と罪悪感に苛まれながらも、魂の救済を求めて青い渦の中に刻み込んだ、切実な祈りの肖像。

✦ 見どころ(技法・色彩)

純粋なコバルトブルーと合成ウルトラマリンが使われ、ジャケットと背景が同系統の青で流動的に統合されています。下描きは一切なく、チューブから出した絵具をそのまま塗り重ねる厚塗り技法により、迷いのない極めて迅速な筆致で一気に描き上げられました。

✦ この絵の舞台

本作の舞台は、フランスの農村オーヴェール=シュル=オワーズに実在したガシェ医師の邸宅です。パリから北へ約30kmに位置し、芸術家たちが静養に訪れる人気の地でした。斜面に建つ石造りの家にはテラス状の庭園があり、初夏の陽光のもとでこの絵は描かれました。

✦ 時代背景

19世紀末のヨーロッパは、産業革命と都市化が急速に進んだ時代です。それに伴い、メランコリーや神経症、うつ病といった精神的疾患が社会問題として浮上していました。この絵は、当時の医学的知見と精神病理への関心が、造形芸術と深く交差した象徴的な産物と言えます。

✦ 鑑賞のための問い

この青いうねりの中で、あなたはどんな感情を受け取りますか?

深い青の渦の中に、ひとりの男が沈み込んでいます。
白い帽子をかぶり、頬杖をついて。
焦点の合わない瞳で、ただ斜め下の空を見つめている。

この絵を見て、ある有名なニュースを思い出す人もいるでしょう。
1990年、日本の実業家が当時の史上最高額で落札した絵。
「自分が死んだら、一緒に棺に入れて燃やしてくれ」
そんな発言で世界中を騒がせた、あの幻の作品だと。

あるいは、ゴッホの死後に描かれた贋作ではないか。
そんな黒い噂が、長年ささやかれてきた一枚でもあります。
ゴッホの手紙に、この絵を描いたという記録が残っていなかったからです。

でも実は、それらはすべて誤解です。

あの高額で落札された絵は、これとは別の「第1バージョン」でした。
そして近年の科学調査により、この絵は間違いなくゴッホの真筆だと証明されました。
驚くべき速度と、迷いのない力強いタッチ。
下書きすらなく、一気にキャンバスを青く染め上げた痕跡。
贋作を作るような素人には、到底真似できない筆跡だったのです。

1890年6月。
フランスの農村、オーヴェール=シュル=オワーズ。
37歳のフィンセント・ファン・ゴッホは、精神病院を退院したばかりでした。

彼の心は、極限の緊張状態にありました。
発作がまた起きるかもしれないという恐怖。
絵具もキャンバスも、すべて弟テオの仕送りに頼る日々。
その年、テオには息子が生まれていました。
弟一家の重荷になっている。
その罪悪感が、彼を深く苦しめていたのです。

そんな彼を支えたのが、主治医のポール=フェルディナン・ガシェでした。
62歳のガシェは、精神疾患の治療にあたる医師。
そして自身も絵を描く、熱心な芸術愛好家でした。
ゴッホは毎週日曜日に彼の家を訪れ、共に食事をするようになります。

ゴッホは、この医師の顔に「現代の悲痛な表情」を見出します。
彼もまた、憂鬱を抱えて生きる人間だった。
ゴッホはガシェへの共感と友情の証として、この肖像画を描き上げます。
注文されたわけではありません。
ただ、描かずにはいられなかった。

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