Three Musicians 三人の音楽家
1921年

- 寸法
- 200.7 × 222.9 cm
- 技法・素材
- カンヴァスに油彩
- 所蔵
- ニューヨーク近代美術館(MoMA)
過去の造形言語を捨てたという世間の声への、巨大なキャンバスによる強烈な反逆。失われた親友たちとの永遠の合奏を油彩で封じ込めた、静かなる追悼。
✦ 見どころ(技法・色彩)
紙を切り貼りする「コラージュ」の手法を、油彩絵の具の平塗りだけで再現した「バーチャル・コラージュ」です。色面同士の境界線を正確に塗り分け、絵の具の塗り重ねによって画面に微小な高低差を作り出し、触覚的な質感の違いまで表現しています。
✦ この絵の舞台
1921年夏、パリ近郊の高級保養地フォンテーヌブロー。ピカソが家族と滞在したヴィラの敷地内にある、天井や壁がむき出しの狭小な仮設ガレージが制作現場でした。描かれているのは現実の部屋ではなく、演劇の舞台装置のような観念的な空間です。
✦ 時代背景
第一次世界大戦後のヨーロッパ。甚大な荒廃をもたらした戦争への反動として、芸術界では前衛的な破壊を避け、安定や伝統的な調和を求める「秩序への帰還」という潮流が支配的となっていました。ピカソ自身も新古典主義のスタイルを展開していた時期です。
浅い舞台のような部屋の中。
仮面をつけた3人の人物が、テーブルを挟んで並んでいます。
左からクラリネット、ギター、そして歌。
テーブルの上にはパイプやたばこの箱が置かれ、足元には影のように犬が横たわっています。
色紙をハサミで切り取り、ジグソーパズルのように貼り合わせた。
そんな風に見えるかもしれません。
実際、紙や新聞を直接貼り付けた巨大なコラージュだ。
そう解説されることも多い作品です。
でも実は、画面に紙は一切使われていません。
すべて油彩絵の具だけで描かれています。
1921年の夏。
ピカソはパリ郊外の高級保養地、フォンテーヌブローに滞在していました。
元バレエ・リュスのダンサーである妻オルガと、生まれたばかりの長男とともに。
生活はブルジョワ的な安定期にあり、経済的にも恵まれていました。
制作現場は、借りた家の敷地にあった仮設のガレージです。
天井や壁がむき出しの狭い空間に、巨大なキャンバスを打ち付けました。
当時、第一次世界大戦後の芸術界には変化が起きていました。
前衛的な破壊を避け、伝統や調和を求める「秩序への帰還」という潮流です。
ピカソ自身も、ギリシャ風の古典的な絵を描き始めていました。
世間は言います。
ピカソはキュビスムを捨てたのだ、と。
反発。
彼はガレージの壁に、古典的な絵とこの絵を並べて貼りました。
そして、2つの全く違う絵を同時に描き進めたのです。
紙を切り貼りするコラージュの手法を、あえて油彩絵の具の平塗りだけで巨大なキャンバスに描き切るという挑戦でした。
自分が創り出した手法を、決して放棄していないことの証明。
描かれた3人は、誰なのでしょうか。
中央でギターを弾く、赤と黄色のひし形模様を着たアルルカン。
この配色は故郷スペインの国旗を想起させ、ピカソ自身の姿だとされています。
左の白いピエロは、詩人のギヨーム・アポリネール。
1918年にスペイン風邪で命を落とした、最愛の親友です。
白い衣装の儚い道化師として、死を悼むかのように描かれています。
右の黒い修道士は、詩人マックス・ジャコブ。
初期からの親友ですが、この絵が描かれる直前の1921年6月。
彼はパリのボヘミアン生活を離れ、修道院へ隠遁してしまいました。
この続き:約228文字

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