El 2 de mayo de 1808 en Madrid 1808年5月2日、マドリード
1814年

- 寸法
- 268.5 cm × 347.5 cm
- 技法・素材
- 油彩・カンヴァス
- 所蔵
- プラド美術館
勝者の栄光を讃える伝統的な歴史画への、強烈な決別。無名の人間同士が殺し合う狂気と肉体の破壊をありのままに刻みつけた、反英雄主義の宣言。
✦ 見どころ(技法・色彩)
輪郭線で囲むのではなく、厚塗りの絵具を叩きつけるような速く荒々しい筆致が特徴です。マメルコ兵の朱色の袴や流血など、鮮烈な赤が画面全体に散乱し、ターコイズブルーや黄色と交錯することで、戦場の熱狂と悲劇性を際立たせています。
✦ この絵の舞台
1808年5月2日午前、マドリード中心部のプエルタ・デル・ソル広場周辺。フランス占領軍に対する民衆蜂起の最激戦地です。背景には旧郵便局ビルや聖フィリペ・ネリ修道院周辺の景観が再構成され、初夏の明瞭な自然光の下での情景として描かれています。
✦ 時代背景
1808年のフランス軍侵入に伴う半島戦争の始まりの時期です。1814年にフェルナンド7世が復位して絶対王政が復活すると、スペインは再び反動政治と弾圧の嵐に突入しました。戦争がもたらした破壊と貧困、そして国家の分裂という深い傷痕が背景にあります。
馬から転げ落ちる異国の兵士。
それに飛びかかり、短剣を突き立てる市民たち。
画面全体が、血と狂気に支配されています。
この絵は、1808年5月2日のマドリードを描いたものです。
フランス占領軍に対し、市民が蜂起した歴史的な一日。
プエルタ・デル・ソル広場での、凄惨な近接戦闘の情景です。
あまりの臨場感に、のちに一つの伝説が生まれました。
画家ゴヤは、戦場の真っ只中にいた。
物陰や窓辺から直接戦闘を目撃し、その場でスケッチしたのだと。
でも実は、違います。
この絵が描かれたのは、事件から6年も後のこと。
1814年。
ゴヤは安全な工房の中にいました。
目撃者の証言や版画をかき集め、記憶を頼りに構図を練り上げたのです。
現場でのスケッチなど、一枚もありませんでした。
なぜ、6年も経ってから描いたのか。
1808年当時、ゴヤは現場のすぐ近くに住んでいました。
激戦地から至近の、デセンガーニョ通り1番地。
1792年の重病以来、彼は完全に耳が聞こえません。
それでも。
大砲の振動や、群衆の地響きは、確実に彼の身体を揺さぶったはずです。
しかし、彼はすぐには筆を執りませんでした。
フランス占領下で、ゴヤは宮廷画家として留任します。
親仏派の勲章まで受け取っていました。
そして1814年。
フランス軍が撤退し、フェルナンド7世が亡命先から帰国します。
絶対王政の復活。
ゴヤの立場は、一転して危ういものになりました。
親仏派としての粛清の恐怖。
1812年には、妻ホセファを亡くしています。
戦争による経済的な困窮も重なっていました。
すべてを失うかもしれない。
この続き:約580文字

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出典・参考資料
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