Saturno devorando a su hijo 我が子を喰らうサトゥルヌス
1823年

- 寸法
- 143.5 × 81.4 cm
- 技法・素材
- 油彩、漆喰壁面からカンヴァスへ移転
- 所蔵
- プラド美術館(マドリード、スペイン)
自国民を喰らい尽くす絶対王政の暴虐への、声なき強烈な告発。誰の目にも触れない自邸の壁に、絶望と怒りを塗り込めた孤独な抵抗の証。
✦ 見どころ(技法・色彩)
乾燥した漆喰壁に油彩で直接描く「フレスコ・セッコ」技法で制作されました。後に壁から剥がされカンヴァスへ移されています。黒や土褐色などの極端に制限された暗い色調の中で、唯一使われた「バーミリオン(水銀朱)」の赤が、凄惨な視覚的衝撃を与えています。
✦ この絵の舞台
マドリード郊外のマンサナーレス川沿いにあったゴヤの邸宅「キンタ・デル・ソルド(聾者の家)」。本作は、その1階にあった食堂の東側壁面に描かれていました。薄暗い室内で、窓から差し込む自然光が壁面を部分的に照らし出すプライベートな空間でした。
✦ 時代背景
19世紀初頭のスペインは、独立戦争の惨劇から続く激動の時代でした。1820年からの「自由主義の三年間」の後、絶対王政を再興したフェルナンド7世による過酷な反動政治が始まります。「暗黒の十年」と呼ばれる粛清運動の中で、多くの血が流れました。
漆黒の闇の中、白髪を振り乱した巨人が屈み込んでいます。
その手には、頭と右腕をもぎ取られた血まみれの肉体が握られている。
首の切断面からは鮮血が吹き出し、巨人は残された左腕に喰らいつこうとしています。
ギリシャ・ローマ神話の神サトゥルヌスが、権力を奪われる予言を恐れ、我が子を次々と呑み込む場面。
ゴヤが晩年に精神を病み、狂気の中で描いた不気味な絵。
一般的には、そう語られることが多い作品です。
タイトルも『我が子を喰らうサトゥルヌス』として広く知られています。
でも実は、この絵にはゴヤ自身がつけた題名はありません。
画面のどこにも、署名すら残されていないのです。
現在知られるタイトルは、ゴヤの死後に友人の画家アントニオ・デ・ブルガーダが、遺品整理の目録を作る際に仮につけた名前にすぎません。
さらに近年の研究で、この絵に隠された驚くべき事実が浮かび上がってきました。
1819年。
73歳のゴヤは、マドリード郊外の小高い丘に建つ家を買いました。
「キンタ・デル・ソルド(聾者の家)」。
かつて大病で聴覚を完全に失っていた彼にとって、奇妙な符合を持つ名前の家でした。
その年の末、ゴヤは再び死線を彷徨うほどの重病に倒れます。
主治医エウヘニオ・アリエタの献身で辛うじて一命を取り留めました。
しかし、老いと死の恐怖はすぐそばにありました。
時代もまた、血塗られていました。
1820年からの「自由主義の三年間」を経て、スペインは激動の渦に飲み込まれます。
絶対王政を復活させた国王フェルナンド7世は、自由主義者たちを過酷に弾圧しました。
自国民を次々と粛清し、流血に追いやる国家権力。
ゴヤはその暴虐を、誰の注文でもなく、自らの家の壁に描き殴りました。
1階の食堂。
薄暗い部屋の東側の壁に、油絵の具で直接描かれた巨人の姿。
当初、その壁には明るい風景画が描かれていました。
ゴヤはそれを自ら塗りつぶし、この暗黒の絵を重ねたのです。
この続き:約522文字

この物語の結末を含む、すべての記事が読み放題
- 52本
ストーリー記事週1〜2本更新
週末の夜、一杯のコーヒーと楽しむ『絵画×名曲の物語』アーカイブ
- 362点
解説つき絵画毎日ふえています
『見るだけ』から『読み解く』へ。巨匠たちの筆跡と狂気に触れる名画アーカイブ
- 45曲
名曲ライブラリー毎日ふえています
知ってから聴くと、耳に届く音が変わる。BGMを一生モノのアートに変える名曲解説
マイノート機能無制限
読むたびに、あなただけの感性が蓄積されていく『デジタル美術手帳』
既にアカウントをお持ちの方は ログイン
おすすめの絵画
出典・参考資料
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。











%2C_by_Diego_Vela%CC%81zquez.webp)







