
- 寸法
- 201 × 72 cm
- 技法・素材
- カラーリトグラフ
- 所蔵
- フランス国立図書館(BnF)
La Passion d’Edmond Haraucourt. Drame sacré en six parties, musique de Jean Sébastien Bach
1904年
✦ 見どころ(技法・色彩)
極めて縦長のモニュメンタルな画面構成が採用されています。キリストの頭部を囲む巨大な円形の後光は、受難を象徴する赤いトケイソウと茨の枝で描かれています。色彩は落ち着いたトーンに抑えられ、背景下部には夜空を斜めに流れる神秘的な星々の帯が配されています。衣服のドレープが作る、右側のシンプルな垂直線と左側の重厚な折り重なりのコントラストも見どころです。
✦ この絵の舞台
エドモン・アロクール執筆の聖劇『受難』の宣伝ポスターとして描かれた空間です。画面奥にはキリストが磔刑に処された「ゴルゴタの丘」を象徴する3つの十字架がかすかに見えます。右側にはエルサレムの神殿、あるいはモスクを思わせる丸いドーム状のシルエットが浮かび上がり、聖地エルサレムの荘厳な舞台背景を視覚的に補強しています。
✦ 時代背景
1904年は、ミュシャが長年暮らしたパリを去り、アメリカ合衆国への初の渡航を果たす重要な転換の年でした。1890年代の華やかな商業主義の中で名声を得た彼でしたが、1900年頃から商業広告の仕事に精神的な疲弊を感じていました。本作は、彼が自身の民族的・宗教的ルーツに基づいた精神的な芸術への専念を切望し、パリを去る直前に手がけた最後期の大判演劇ポスターの一つです。
白い衣をまとったイエス・キリストが静かに佇んでいます。
その手には、茨の冠が握りしめられています。
アルフォンス・ミュシャ。
その名を聞けば、華やかな女性を描いたポスターを思い浮かべるでしょう。
1881年にフランスで制定された出版の自由に関する法律は、パリの街頭を巨大な広告板へと変貌させました。
多色刷り石版画の技術革新。
大衆の視線が集まる「街頭の美術館」が作り出されたのです。
ミュシャはアール・ヌーヴォーの寵児として、その中心にいました。
でも実は、彼はその名声の中で深く疲弊していました。
これは、彼がパリを去る直前に描いた、内省的な祈りの一枚なのです。
1896年、ミュシャは有力な印刷業者F. シャンプノワと独占契約を結びます。
月給制による財政的な安定。
彼はヴァル・ド・グラース通りに広大なスタジオを構え、多作な創作活動を展開しました。
1890年代の華やかな商業主義の中で、彼は確固たる名声を得ます。
しかし1900年頃から、彼の心境に変化が訪れます。
一時的な消費物である商業広告の仕事に対する、精神的な疲弊。
彼が切望するようになったのは、自身の民族的・宗教的ルーツに基づいた芸術でした。
精神的な芸術への専念。
幼少期、ミュシャは熱烈な宗教的環境で育ちました。
聖歌隊での経験。
教会音楽やキリスト教的な主題は、彼にとって深い精神的安らぎだったのです。
1904年。
ミュシャにとって、長年暮らしたパリを去る重要な転換の年でした。
アメリカ合衆国への初の渡航を果たす決意を固めます。
その直前に手がけたのが、この最後期の大判演劇ポスターでした。
エドモン・アロクールが執筆した、キリストの最後の数日間を描いた聖劇『受難』。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの教会音楽が伴奏として全編を彩ります。
この仕事は、ミュシャにとって絶好の機会でした。
自らの信仰心と芸術的野心を、直接投影できるテーマだったからです。
宗教的モティーフは、彼にとって単なる絵画のテーマではありませんでした。
幼少期からの強固な信仰体験と、密接に結びついていたのです。

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