Thirty サーティ(30)
1937年

- 寸法
- 81 × 100 cm
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 所蔵
- ポンピドゥー・センター(フランス国立近代美術館)
✦ 見どころ(技法・色彩)
バウハウス時代の厳格な幾何学から脱却し、生命形態をモチーフとする有機的な抽象へと移行しています。黒と白の背景が交互に配置され、陽画と陰画の反転効果によって視覚的な振動を生み出しています。黒い直線はインクで描かれたようにシャープです。
✦ この絵の舞台
具体的な物理空間の表現はなく、完全な平面分割による構成です。縦5列、横6列の合計30個の不規則な正方形の区画に解体され、それぞれの小窓で異なる細胞や生命の形態が呼吸しているような、独自のミクロ宇宙が舞台となっています。
✦ 時代背景
1937年、ナチスによる前衛芸術への弾圧が最高潮に達していました。ミュンヘンで「退廃芸術展」が開催され、カンディンスキーの作品も多数没収され晒し者にされました。彼はパリへ亡命し、政治的混乱の中で創作を続けました。
縦5列、横6列、合計30個の正方形に区切られた画面。白と黒が交互に配置された市松模様の中に、古代の象形文字や微小な生物を思わせる不思議な記号が並んでいます。
1937年。カンディンスキーにとって、この年は破局的な弾圧が最高潮に達した時期でした。ドイツのミュンヘンでは、ナチス主導による「退廃芸術展」が開催されます。ドイツ各地の美術館から前衛美術が強制的に押収され、カンディンスキーの作品も57点が没収されました。そのうち14点は「退廃芸術の極み」として、大衆の晒し者にされたのです。
ナチスによる徹底的な名誉毀損。そして、祖国の喪失。彼が人生の後半で全財産や過去の作品を失うのは、これが二度目でした。1914年の第一次世界大戦勃発時、彼はミュンヘンのアトリエとすべての作品をかつてのパートナー、ガブリエレ・ミュンターに託してロシアへ急行しました。しかしその後の離別により、彼女に託した初期の作品は二度と取り戻せなかったのです。
激しい逆境の中、カンディンスキーは妻のニナとともに、パリ郊外のヌイイで隠遁生活を送っていました。すべてを奪われ、沈黙を強いられるような状況。それでも、彼は沈黙を拒否しました。驚異的な創作活動を維持し、スイスのベルンやパリの美術館で開催された展覧会に次々と作品を出品します。国際的なアヴァンギャルドの旗手として、健在ぶりを内外に証明したのです。
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