The Dessert: Harmony in Red (The Red Room) 赤のハーモニー
1908年

- 寸法
- 180.5 × 221.0 cm
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 所蔵
- エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)
妥協を許さぬ色彩への渇望と、自律した絵画空間への強烈な執念。 パトロンの絶賛すら振り切り、自らの理想とする装飾的調和を極限まで追い求めた、孤高の決断。
✦ 見どころ(技法・色彩)
画面全体を覆う鮮烈な赤は、単調な平塗りではありません。カドミウム・レッドの下には、以前に描かれた濃青色の層が存在します。マティスはキャンバスの上部や模様の輪郭付近で、あえて下層の青を極薄く残しました。これにより、赤い平面の中に微細な明暗の明滅が生じ、画面に視覚的な厚みと息づかいを与えています。
✦ この絵の舞台
舞台はパリのセーヴル通り、または旧ビロン館にあったマティスのアトリエです。実在の部屋の写生ではなく、画家が私物の椅子やデカンタ、長年愛用していた青い唐草模様のプリント綿布を組み合わせ、頭脳内で統合した虚構の空間です。窓の外には、パリ郊外の早春を思わせる白い花をつけた木々が描かれています。
✦ 時代背景
1908年は、20世紀美術史における重大な転換点でした。フォーヴィスムの運動が結束を失い、ピカソらがキュビスムを開拓し始める中、マティスは強烈な原色の対比から、大画面における装飾的秩序へと移行を模索していました。同年、彼は「精神的な疲労を癒やす安楽椅子のような芸術」を夢見ると宣言しています。
鮮烈な赤い壁とテーブルが一体化した室内。
青い仕事着の家政婦が、果物を静かに盛り付けています。
この絵は、最初からこの強烈な「赤」で構想された傑作だと思われがちです。
あるいは、注文主が赤く塗るよう命じたのだと。
でも実は、違います。
この絵はもともと「青い絵」でした。
画家がパトロンに無断で、勝手に赤く塗り潰してしまったのです。
1908年、パリ。
アンリ・マティスは、ロシアの富豪セルゲイ・シチュキンから注文を受けました。
モスクワの宮殿の食堂に飾る、大型の装飾パネルです。
報酬は4,000フラン。
当時のマティスにとって、困窮から抜け出すための決定的な命綱でした。
この頃、マティスは大きな転換期にありました。
かつて彼が主導した野獣派の運動は、すでに結束を失いつつありました。
ライバルのピカソたちが新たな表現を開拓し始める中、マティスもまた、装飾的な秩序と調和への移行を模索し続けていたのです。
精神的な疲労を癒やす、安楽椅子のような芸術。
それが、マティスの目指す新たな調和でした。
彼はアトリエにある私物を並べ、理想の空間を構築し始めます。
木枠の椅子、ガラスのデカンタ。
そして、長年大切に保管していた青い唐草模様のプリント綿布。
最初、マティスは画面を緑色で描き始めました。
しかし納得がいかず、濃い青色で塗りつぶします。
こうして《青のハーモニー》が完成しました。
同年秋のサロンに出品されたこの青い絵を、シチュキンは大絶賛します。
購入は無事に決まりました。
あとはモスクワへ発送するだけ。
しかし1909年の春。
発送直前のアトリエで、マティスは絵をじっと見つめていました。
窓の外には、パリ郊外の白い花が咲いています。
何かが足りない。
装飾的な力強さと、画面全体の調和が不十分だ。
パトロンは青い絵を気に入り、すでに金も払っている。
普通なら、そのまま送るはずです。
塗り潰した。
マティスは誰にも相談せず、青い画面の上から鮮烈な赤を塗り重ねました。
生活の安定よりも、自身の芸術的な探求を優先したのです。
この続き:約373文字

おすすめの絵画
出典・参考資料
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。



















