Mont Sainte-Victoire サント=ヴィクトワール山
1902年

画像: Artvee / Public Domain
- 寸法
- 73.0 cm × 91.9 cm
- 技法・素材
- カンヴァスに油彩
- 所蔵
- フィラデルフィア美術館
印象派の移ろいやすい光の再現を拒絶し、自然の表面的な模倣ではなく、自然と平行して存在する独自の造形構造をカンヴァス上に構築すること。
✦ 見どころ(技法・色彩)
画面全体に均等に散在する矩形状の筆触(タッシュ)に注目。明暗の影ではなく、色相の変化(モデュレーション)によって立体感と距離感が表現されている。山頂の青や紫が中景の建物に、平野の緑や黄土色が山の岩壁に塗り込まれ、平面性と奥行きが同居している。また、カンヴァスの生成り下地が意図的に露出され、光と空気の通り道となっている。
✦ この絵の舞台
フランス・プロヴァンス地方エクス=アン=プロヴァンス市北部に位置する「レ・ローヴの丘」の山頂付近(標高約250メートル)。南東方向に広がるアルク川流域の平野と、その背後に聳え立つサント=ヴィクトワール山脈を展望したパノラマ風景。
✦ 時代背景
19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランスは、第二次産業革命による急激な工業化と都市化の波が地方へ波及していた時代。印象派の光学主義が行き詰まりを見せ、新たな造形秩序が模索されていた過渡期にあたる。
南仏プロヴァンスの乾いた風が吹き抜ける中、ひとりの老人が重い画具を背負い、険しい丘の道をゆっくりと登っていく。彼の視線の先には、石灰岩の山肌を青空に突き刺すようにそびえ立つ巨大な山脈があった。画面には、人間も、動物も、近代的な車両も一切描かれていない。そこにあるのは、静まり返った大自然と、幾何学的な色彩のパッチワークによって構築された永遠の風景だけである。
孤独な老画家が向かった終の棲家
1902年の秋、60代を迎えたポール・セザンヌは、故郷エクス=アン=プロヴァンスの北に位置する「レ・ローヴの丘」に新たなアトリエを構えた。
当時の彼は、深い孤独と猜疑心の中にいた。少年時代からの親友であった作家エミール・ゾラとは絶交状態にあり、パリの保守的な美術界からは長年にわたって冷遇され続けていた。故郷のエクスにおいても、彼の革新的な芸術を理解する者は少なく、住民からは孤立していた。
さらに、彼の肉体は深刻な糖尿病に蝕まれていた。視力の衰えや体力の低下に対する不安が、常に彼の心を覆っていた。セザンヌは妻オルタンスや息子ポールとの同居生活を避け、エクス市街のブールゴン通りに一人で住みながら、レ・ローヴのアトリエへと通う日々を送っていた。
毎朝、早朝の澄んだ空気の中、彼は重い画具を担いでレ・ローヴの丘を登った。アトリエから北へわずかに登った標高約250メートルの野外の視点。そこからは、南東方向に広がるアルク川流域の平野と、その背後に力強く横たわるサント=ヴィクトワール山脈を一望することができた。
エクス=アン=プロヴァンスは彼の生誕地であり、アイデンティティの根幹をなす土地であった。少年時代、彼はゾラや友人たちとともにこの山の麓やアルク川を駆け巡り、水浴や散策を通じて、この土地の地形を身体の奥底に記憶していた。晩年のセザンヌにとって、この丘から山と向き合うことは、単なる風景画の制作を超えた、自らの人生を捧げた神聖な対話の儀式であった。
この続き:約2,056文字
- ・伝統的な遠近法を解体する色彩の変調の秘密
- ・科学調査で明かされる下地と混色の緻密な技法
- ・ピカソら後世の巨匠へと繋がる決定的な衝撃
この絵画の解説の続きと
あなたのためだけに
開かれる秘密のギャラリーへ
毎週土曜の朝、あなただけに届く「アートの手紙」
芸術家タイプ診断と「好き」の直感から、あなたの感性に寄り添う作品・名曲・言葉を毎週お届け
「見るだけ」から「自分の言葉で楽しめる」名画&名曲ライブラリー
感じた言葉を残し、美意識が蓄積する「デジタル美術手帳」(無制限)
いいね・メモの保存が無制限になります
980円 /月0円
8日目から 980円/月(税込)。いつでも解約できます。
既にアカウントをお持ちの方は ログイン
おすすめの絵画
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。




















