The Bridge at Mantes マントの橋
1868年

画像: Wikimedia Commons / Public Domain
- 寸法
- 縦 38.5 cm × 横 55.5 cm
- 技法・素材
- 油彩・カンヴァス
- 所蔵
- ルーヴル美術館
19世紀フランスを代表する画家であり、バルビゾン派の中心的な存在である。
喧騒を離れたマントの地で、人間と自然が調和する平穏な理想の空間を、自らの記憶と詩情を込めて永遠に描き残したかった。
✦ 見どころ(技法・色彩)
画面左側と上部の暗い樹木が額縁(ルプソワール)となり、視線を中央の明るい水面へ誘導します。水平に伸びる橋と垂直な大聖堂の塔が安定した構図を作り、近景から遠景へと色彩のコントラストが弱まる空気遠近法によって深い奥行きが表現されています。全体を包む「コローのグレー」と呼ばれる銀灰色のトーンに注目してください。
✦ この絵の舞台
パリの西北西約50kmに位置するマント=ラ=ジョリのセーヌ川河畔。中世以来の多重アーチ橋(マントの古橋)と、遠景には12世紀建造のノートルダム合唱聖堂の角塔が見えます。早朝または夕暮れ時の、青緑色と銀灰色の澄んだ空気に包まれた遅春から初夏の情景です。
✦ 時代背景
1868–1870年頃のフランス第二帝政末期。パリでは都市の近代化が進む一方、郊外の自然景観への郷愁が高まっていました。普仏戦争とパリ・コミューンという激動の直前の時期にあたります。
静まり返った水面に、青緑色と銀灰色の澄んだ空気が柔らかく溶け込んでいく。セーヌ川の分流に架かる古い石造りの多重アーチ橋。
その手前の岸辺では、素朴な衣服をまとった釣り人が小舟の上で静かに身を潜め、遠くの地平線には、薄い青灰色の霞の中から12世紀に建てられた大聖堂の角塔が可憐なシルエットを覗かせている。
喧騒の都を離れ、親友の待つ静かな町へ
1860年代の終わり、70代前半を迎えたジャン=バティスト・カミーユ・コローは、フランス画壇において揺るぎない名声と評価の頂点に立っていた。サロンでの評価は定着し、画商ポール・デュラン=リュエルらを通じて作品は次々と売れ、彼は極めて豊かな経済的安定を手に入れていた。パリのヴェロン通りにある広大なアトリエと、ヴィル=ダヴレーの別荘を行き来しながら、体調の許す限り野外でのスケッチとアトリエでの大作の仕上げに精力的に取り組む日々。ピサロ、シスレー、モリゾといった若い画家たちからは「コローおじさん」と親しみを込めて慕われ、困窮する仲間がいれば、惜しみなく自らの資力を投じて慈善活動を行う温厚な人物であった。
しかし、当時のパリは激動の只中にあった。ナポレオン3世の命を受けたオスマン男爵によるパリ大改造が進行し、古い街並みは次々と破壊され、近代的な大都市へと変貌を遂げていた。都市の近代化がもたらす喧騒と目まぐるしい変化は、自然の静寂を愛する老境の画家の心を、少しずつ疲弊させていたのかもしれない。
そんなコローにとって、パリから西北西へ約50キロ離れたマント=ラ=ジョリ(通称マント)は、心から安らぐことのできる特別な避難場所であった。1840年代にパリとルーアンを結ぶ鉄道が開通して以来、彼はこの地を頻繁に訪れ、長期滞在を繰り返していた。その最大の理由は、マントの治安裁判官を務める親友、フランソワ=パルフェ・ロベールとその家族の存在だった。
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