ベルト・モリゾ

Life生涯

1841年、フランス中部のブールジュで生まれたベルト・モリゾは、11歳のときにパリ西部の高級住宅地パッシーへ移住した。当時の社会通念において、ブルジョワ階級の女性が男性のように都市を自由に歩き回ることは許されていなかった。彼女はパッシーの丘という保護された境界の内側から、フェンス越しに近代化が進むパリの街を観察し、女性の視座からしか捉えられない内省的な精神の動きや、移ろう光の気配を画面に定着させていくことになる。

10代後半からルーヴル美術館での模写を通じて美術を学んだ彼女は、屋外で直接自然を描く外光派の手法を志向する。風景画の巨匠カミーユ・コローに弟子入りして自然観察の基礎を身につけ、1864年には保守的な審査基準を持つ官展(サロン・ド・パリ)に風景画を出品して初入選を果たした。

1868年、ルーヴル美術館での模写中にエドゥアール・マネと出会う。マネは彼女をモデルとして十数点の肖像画を制作したが、二人の関係は一方的な師弟関係ではなかった。彼女はマネに対して戸外での直接制作と明るい色彩の使用を教え込み、彼の画風の変化を直接的に促している。1869年の『窓辺の若い女性』では、窓外から差し込む光と室内の暗部を境界線なしに融合させる画法を、マネに先んじて独自に獲得していた。

最も身近な制作の伴侶であった姉のエドマが結婚を機に画業を断念すると、彼女は姉を主要なモデルとして近代女性の現実的な身体や心理を描くようになる。1872年の『ゆりかご』は、姉が我が子を見守る姿を透き通るシフォンのベールとともに描いたものである。同年、画商のポール・デュラン=リュエルが彼女の油彩画22点を一括購入した。実家の資産により生活のために絵を売る必要はなかったが、彼女は自らをプロフェッショナルな画家と規定し、作品の社会的流通を重視していた。

1874年、彼女はアカデミックな審査基準に不満を抱く若手芸術家たちの自主グループ結成に賛同し、第1回印象派展に唯一の女性創設メンバーとして参加する。同年にはマネの弟であるウジェーヌ・マネと結婚した。ウジェーヌは自身のキャリアを脇に置き、展覧会の額装や宣伝、開催資金の調達に至るまで、彼女の活動を物流的・金銭的に支援した。

1875年から1885年にかけて、彼女の作風は迅速な筆致とスケッチ的な表現の徹底的な追求へと向かう。キャンバス上の筆のストロークをあえて露骨に残し、形態を色彩と光の中に溶解させていった。1880年頃からは、下塗りを施していない無垢の麻キャンバスをそのまま露出させる実験を開始する。1885年の『鳥籠』では、露出するキャンバスの素地そのものを色彩と等価なテクスチャーとして活かし、描くプロセスそのものを前景化させている。

1881年から数年間、家族で夏を過ごしたパリ郊外のブージヴァルでは、庭園の草木やガラス張りのヴェランダがもたらす光の干渉を観察し、約40点の作品を集中的に制作した。夫ウジェーヌが幼い娘ジュリとともに庭園で玩具作りに熱中する姿を描いた『ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘』では、男性画家が好んだ母子像の構図を反転させ、父親が子育てに関わる近代的な家族のあり方を捉えている。

1895年、娘の肺炎の看病の過程で自身も肺炎を患い、54歳で急逝する。彼女が残した油彩画の多くは、遺族からパリのマルモッタン・モネ美術館へと寄贈された。現在、同美術館には世界最多となる約80点の彼女の作品が保管されており、透き通るような色彩と荒々しい筆致が混在する画面を通じて、その視覚実験の軌跡を直接確かめることができる。

Timeline 年表

  1. 1841

    0歳。フランス中部のブールジュで生まれる。

  2. 1852

    11歳。パリ西部の高級住宅地パッシーへ移住する。

  3. 1860

    19歳。風景画の巨匠カミーユ・コローに弟子入りする。

  4. 1864

    23歳。サロン・ド・パリ(官展)に風景画を出品し初入選する。

  5. 1868

    27歳。ルーヴル美術館での模写中にエドゥアール・マネと出会う。

  6. 1869

    28歳。印象派的画法を獲得した『窓辺の若い女性』を制作する。

  7. 1872

    31歳。『ゆりかご』を制作。画商が油彩画22点を一括購入する。

  8. 1874

    33歳。第1回印象派展に出品。ウジェーヌ・マネと結婚する。

  9. 1878

    37歳。一人娘のジュリ・マネを出産する。

  10. 1880

    39歳。未下塗りの粗いキャンバスでの油彩実験に着手する。

  11. 1886

    45歳。第8回印象派展に資金を融通し、実質的な主宰者として成功に導く。

  12. 1892

    51歳。夫ウジェーヌが死去。生涯初の個展を開催し大成功を収める。

  13. 1894

    53歳。フランス国家が『舞踏会の若い女性』を購入する。

  14. 1895

    54歳。娘の看病の過程で肺炎を患い、パリで急逝する。

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