
地中海の強烈な太陽光線とそれが水面や人体に引き起こす反射を捉え、巨大なキャンバスを野外に持ち込んで近代スペイン絵画にルミニスモを確立した画家。
Life生涯
ホアキン・ソローリャは1863年にスペインのバレンシアで生まれた。2歳の時にコレラの流行で両親を相次いで亡くし、叔母夫婦のもとで育てられる。15歳で地元の美術アカデミーに入学を許可され、絵画の基礎を学んだ。1881年にマドリードを訪れた彼は、プラド美術館でディエゴ・ベラスケスの筆触を徹底的に模写し、暗褐色や黒を基調とする明暗法を吸収する。同時に、後に義父となるプロ写真家のアトリエでモノクロ写真に手作業で光を書き加える修正作業を請け負い、光学的な屈折やファインダーを通した唐突なトリミングの感覚を身につけていった。
1890年代に入ると、彼は社会の暗部を直視する写実主義の作品を次々と発表する。1892年の『もう一人のマルガリータ』では汽車の三等客車の中で手錠をかけられた女性を、1894年の『まだ魚は高いと言いおる!』では暗い船倉に差し込む一筋の光の下で介抱される負傷した若い漁師を描いた。当時のヨーロッパの公式な展覧会では、こうした人道主義的なテーマが賞を得やすい傾向にあった。1899年には、小児麻痺といった身体的ハンディキャップを背負った孤児たちが波打ち際で入浴する姿を描いた『悲しき遺産』を制作し、翌年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞する。
1900年代以降、彼は物語性のある主題から離れ、視覚現象としての現実を記録する制作に注力するようになる。アトリエという物理的な殻を脱ぎ捨て、縦3メートル、横4メートルを超えるキャンバスを直接海中に敷設した足場に持ち込んだ。自然の表情は過渡的であり瞬時に描かれなければならないと考えた彼は、下描きを排した直張り(ウェット・オン・ウェット)と呼ばれる手法で、圧倒的な速度で筆を動かした。ただし、事前の構想を持たなかったわけではなく、実際には生涯で約9000点に及ぶ素描や下絵を残し、人物のポーズや幾何学的な構図を計算した上で野外での制作に臨んでいた。
1909年にニューヨークのヒスパニック・ソサエティ・オブ・アメリカで開催した個展では、出品作356点のうち150点以上が瞬時に買い上げられるという結果を残す。この資金をもとに、1911年にマドリードのマルチネス・カンポス通りに邸宅兼アトリエを建設した。光の角度を計算した3つのガラス張りアトリエに加え、幾何学的なレンガ細工や噴水を備えたプライベートな庭園を自ら設計する。完成後、この庭園は彼の新たな実験場となり、妻のクロティルデや3人の子供たちをモデルにした親密な絵画が多数制作された。
同年、アメリカの富豪アーチャー・ミルトン・ハンティントンと契約を結び、図書室を飾る14点の巨大壁画『スペインの幻影』の制作を開始する。カスティーリャ、セビリア、ガリシアなどスペイン全土を巡り、各地の民族衣装を着た群像と外光を大画面に描き出す作業は8年に及んだ。1919年に全行程を完遂した直後、彼は極度の肉体的衰弱を訴える。1920年6月17日の午前、自邸の庭園で親友の妻であるメーベル・リックが揺り椅子に腰掛ける姿を描いている最中に脳卒中を発症し、右半身の自由と絵筆を握る能力を失った。揺り椅子の肘掛けや背景のテクスチャが初期の下塗りのまま放置されたこの未完の肖像画は、2026年初頭にリニューアルオープンを予定しているマドリードのソローリャ美術館に現在も残されている。
Works 作品

La Siesta En El Jardin

La Bilbainita

Corner of the Garden, Alcazar, Sevilla

Pepilla the Gypsy and Her Daughter

水浴、ハベア
The Bath, Jávea














