Judith
1901年

- 寸法
- 84.0 cm × 42.0 cm
- 技法・素材
- カンヴァスに油彩、金箔
- 所蔵
- オーストリアギャラリー・ベルヴェデーレ宮殿美術館
保守的な社会からの激しい非難に対する、孤高の芸術家による強烈な反逆。自らの美学を貫き、女性の性の絶対的な勝利と官能を刻みつけた、黄金の宣言。
✦ 見どころ(技法・色彩)
「油性鍍金」という技法が使われています。乾性油やニスを塗布した下地の上に高品質の金箔を貼り付け、金属特有の滑らかな表面を作りました。その上で、油彩絵の具を用いて肌の微妙なぼかし技法を重ね塗りしています。皮膚の繊細で柔らかい描写と、背景や衣裳の硬質で平坦な金箔表現との質感の対立が、不穏な緊張感を生み出しています。
✦ この絵の舞台
旧約聖書の舞台である古代の野営地ではなく、古代アッシリアの宮殿レリーフに刻まれた樹木装飾を援用した幻想的な平面です。しかし、そこに漂う空気感は1900年前後の世紀末ウィーンの現実の室内空間と結びついています。モデルの髪型や透け感のある黒い衣裳は、当時のウィーンのサロンに姿を現す現代の社交界婦人そのものの佇まいを見せています。
✦ 時代背景
1900年前後のウィーンは、ハプスブルク帝国の政治的停滞の一方で、文化的・精神的な大転換期を迎えていました。フロイトが『夢判断』を刊行し、人間の無意識や性の衝動を提示した時代です。また、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の流行が、「男性の首を持つ魅惑的な女性」という強烈な視覚体験を世間に刷り込んでいました。
透けるような黒い絹布を纏い、恍惚とした表情でこちらを見下ろす女性。
彼女の右手には、男の生首が抱え込まれています。
この絵は、男の首を求める魅惑的な女性の代名詞である「サロメ」を描いたものだ。
当時の批評家たちはそう誤認し、その噂は長く流布しました。
でも実は、最初から「ユディト」を描いた作品です。
ユディトは、敵将ホロフェルネスの首を切り落とし、祖国を救った旧約聖書のヒロイン。
絵を囲む真鍮製の額縁の最上部を見てください。
そこにははっきりと、「JUDITH UND HOLOFERNES」と刻まれています。
画家のデザインに基づき、実弟ゲオルク・クリムトが制作した額縁です。
なぜ、サロメと誤認されたのでしょうか。
それは、この絵に「刃物」が一切描かれていないからです。
伝統的なユディトの絵に不可欠だった、血塗られた剣。
劇的な殺害の場面。
クリムトはそれらを完全に排除しました。
1901年、ウィーン。
グスタフ・クリムトは、激しいバッシングの最中にありました。
前年の1900年。
ウィーン大学講堂の天井画プロジェクトの第1作『哲学』を発表。
続く1901年3月には、第10回分離派展に第2作『医学』を出品します。
しかし、保守派の大学教授陣やカトリック系政治家たちは激怒しました。
「淫乱だ」
「芸術の汚涜だ」
公的な非難を浴び、クリムトは精神的な孤立感を深めていきます。
金銭的にはパトロン層の支持を得ていました。
しかし、社会からの拒絶は彼を追い詰めます。
自らの芸術的意志を、社会に鋭く突きつける。
そのために彼が着手したのが、この《ユディトI》でした。
誰からの注文でもない、純粋な自主制作です。
モデルに選んだのは、アデーレ・ブロッホ=バウアー。
ウィーンの裕福なサロンを主宰する、現代の社交界婦人です。
彼女の洗練されたメイクアップや、当時流行した束ね髪。
それは古代の救世主ではなく、ウィーンの劇場に姿を現す女性そのものでした。
この続き:約446文字

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