Argenteuil (c. 1872) アルジャントゥイユ

- 寸法
- 50.4 × 65.2 cm
- 技法・素材
- キャンバスに油彩
- 所蔵
- ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)
✦ 見どころ(技法・色彩)
初期に見られた土気色を帯びたマットな色彩から脱却し、光そのものをカンバス上に定着させるための明るく鮮明な色彩と、動的な筆触へと移行しています。空と水面は、混色を避けた色が並置され、空気の軽やかさと透明感を湛えています。同じ地形を異なる時間帯や天候下で描いた4点の連作のうちの1点であり、他の作品では砂地の遊歩道が手前に大きく描かれていますが、本作では草の茂る小道へと変化する地点から描かれています。
✦ この絵の舞台
パリからセーヌ川を下って約9キロメートル、鉄道でわずか15分の距離に位置するアルジャントゥイユのボート賃貸用プール付近です。画面左手からは川沿いに整備された遊歩道が伸び、水面には当時の流行であったレジャー用のヨットが配置されています。対岸には急激に工業化が進むピエール・ジョリー鉄工所の煙突と、伝統的なルイ13世様式のシャトー・ミシュレが並び、近代と伝統が交錯する過渡期の郊外の表情を捉えています。
✦ 時代背景
1870年から1871年にかけての普仏戦争およびパリ・コミューンの混乱を避け、モネはイギリスやオランダへ亡命していました。1871年末に帰国した彼はアルジャントゥイユに移住します。当時のアルジャントゥイユは、急激な近代化を経験しつつも田園的な魅力を残した、新興中産階級の週末のレジャー地でした。普仏戦争の惨禍から復興を遂げようとする社会において、人々はこのような「郊外の楽園」を強く求めていました。
川沿いの草の茂る小道が奥へと続き、穏やかな水面には白い帆を張ったヨットが浮かんでいます。
対岸には煙突や建物が並び、明るい空が広がっています。
1870年から1871年にかけて、フランスは混乱の中にありました。
普仏戦争とパリ・コミューンが起きたのです。
戦火を避けるため、クロード・モネはイギリスやオランダへ亡命します。
1871年末、ようやくフランスへ帰国した彼が向かったのはアルジャントゥイユ。
パリから鉄道でわずか15分の距離にある町に居を構えました。
当時のアルジャントゥイユは、近代化を経験しつつも、田園的な魅力を残していました。
新興中産階級が週末のレジャーを楽しむ場所として、活況を呈していたのです。
普仏戦争の惨禍から復興を遂げようとする社会。
人々はこのような「郊外の楽園」を強く求めていました。
この地で、モネは画商ポール・デュラン=リュエルとの取引を成立させます。
得られた収入は年間12,000フラン。
破格の額でした。
当時の医師や弁護士の年収を大幅に上回る額だったのです。
ようやく財政的な安定を手にしたモネ。
彼は極めて旺盛な創作活動を行い、1872年だけで約60点もの作品を完成させます。
やがてこの地には、マネやルノワール、シスレー、カイユボットといった画家たちが次々と訪れるようになります。
新しい拠点。
アルジャントゥイユは、パリに代わる「新絵画の中心地」となっていったのです。
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