A Kiss for Baby Ann (No. 3)(赤ん坊のアンへのキス(No. 3))
1897年
ふっくらとしたバラ色の頬。
金色の巻き毛の幼児を抱き寄せ、女性がそっと唇を重ねている。
見る者の心を温かく包み込む、慈愛に満ちた母と子の姿。
メリー・カサットは、こうした親子の情愛を描いた画家として有名だ。 彼女の絵は、いつの時代も普遍的な母性愛を私たちに伝えてくれる。 そう語られがちだが、実は違う。
彼女自身は、生涯未婚を貫いた。 子供をその腕に抱くことは、一度もなかったのだ。
さらにこの絵のモデルたちも、本当の親子ではない。 金で雇われた子守と、見知らぬ他人の子供にすぎない。
偽りの家族。 なぜ彼女は、それほどまでに母子を描き続けたのか。
1844年、彼女はアメリカのペンシルベニア州で裕福な家庭に生まれた。 女性は結婚し、良き妻として家庭に入るのが当然とされた時代。 だが、彼女はすべてを捨てた。 家族の猛反対を押し切り、プロの芸術家になる道を選んだのだ。
パリへ渡り、孤独な闘いが始まる。 1879年、35歳のカサットはドガの誘いで印象派に参加した。 男性画家たちが外の社会を自由に描く中、女性の彼女には制約があった。 一人でカフェにも行けない彼女が選んだのが、私的な室内空間だった。
普通の幸せを手放した彼女は、知人の子供や子守をアトリエに呼んだ。 そして、自分が決して得られない光景を、絵の具とパステルで作り出した。
1897年、53歳になった彼女は大きな勝負に出る。 約25年ぶりに、母国アメリカへ帰国する計画を立てたのだ。
女が画家になるなどと冷笑した故郷を、圧倒的な実力で見返すためである。 その帰国展に向けた最大の切り札が、本作だった。
紡がれた金糸のような髪を持つ幼児「アン」を、彼女は見つけ出す。 透き通る白い肌と薔薇色の頬は、アメリカの収集家が好む理想の姿だった。 画家として生き抜くために、彼女は人々の好みを冷徹なまでに計算し、完璧な子供像をカンヴァスの上に仕立て上げたのである。
結婚を放棄し、世間から外れた道を一人で歩んできた。 だからこそ、誰よりも自立した芸術家としての成功を欲したのだ。 のちにこの絵は、エリザベス・スチュワート・ハミルトンの手に渡る。 それは彼女の緻密な戦略が、見事に実を結んだ証である。
その事実を知った上で、改めてこの絵を見る。 優しいパステルの色合いの奥に、不屈の精神が見えてこないだろうか。 この愛に溢れた口づけは、決して単なる感傷的な情景ではない。 すべてを犠牲にしてパステルを握り続けた女性が、執念で築き上げた結晶なのだ。
選ばなかった人生。 温かな家庭の代わりに、彼女がカンヴァスの上に守り通したもの。 それは現実よりも確かな、永遠に失われることのない絆だったのかもしれない。
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19世紀後半から20世紀初頭にかけて、主にフランスのパリを拠点に活躍したアメリカ人女性画家。












