Crescent of Houses II 家々の並び II(島都市)
1915年

- 寸法
- 110.5 × 140.5 cm
- 技法・素材
- キャンバスに油彩
- 所蔵
- レオポルド美術館(ウィーン)
✦ 見どころ(技法・色彩)
現実の風景から橋や教会を意図的に排除し、外界から遮断された「島都市」として描いています。キュビスム的な幾何学を意識した家々の直線と、輪郭に沿って塗られた緑や薄紫色の線が、対位法的な色彩の響きを生み出しています。
✦ この絵の舞台
舞台は南ボヘミア(現チェコ共和国)のヴルタヴァ川沿いの古都チェスキー・クルムロフ(当時のドイツ名クルマウ)。シーレの母親の故郷であり、彼自身も1911年に移住した場所です。城山の頂から湾曲した半島状の古い街区を見下ろす景観が描かれています。
✦ 時代背景
1915年は第一次世界大戦が勃発した翌年であり、ヨーロッパ全体が破局の空気に包まれていました。シーレ自身もエディト・ハルムスと結婚し、オーストリア陸軍への入隊と召集命令を受けた運命の年でした。
眼下を見下ろすような視点の先に、古い家々がパズルのように身を寄せ合っています。湾曲した地形に沿って並ぶ建物は、幾何学的な直線を重ね合わせています。まるでひとつの巨大な生き物のようです。
秋の枯葉色に染まった木々。くすんだ色合いの屋根が連なるこの風景。ノスタルジックで静かなヨーロッパの古都。穏やかな風景画に見えるかもしれません。実際、ここは画家の母親の故郷であり、彼にとっても血脈的な愛着のある場所でした。
でも実は、画家エゴン・シーレは、この美しい街から強制的に追放されていました。そしてこの絵は、現実の風景をそのまま写し取ったものではないのです。
描かれているのは、南ボヘミアにあるヴルタヴァ川沿いの古都チェスキー・クルムロフ。当時のドイツ名で、クルマウと呼ばれる街です。1911年、窮屈なウィーンから逃れるように、シーレはこの街へ移り住みました。愛人のヴァリ・ノイツィルと一緒でした。
新しい生活への期待。しかし、現実は甘くありませんでした。未婚の男女の同棲。さらに、地元の10代の少女を素裸のモデルとしてアトリエに招き入れる奔放な生活。それは、カトリック信者が多い保守的な住民の激しい反感を買い、彼はわずか数ヶ月で街を追われることになります。
「モラルの欠如だ」
激しく非難されたシーレは、わずか数ヶ月で街から追い出されてしまったのです。
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