
- 制作年
- 1895
- 寸法
- イメージ:60.5 × 44.5 cm / シート:85.6 × 59.3 cm
- 技法・素材
- リトグラフ(石版画)、時に背景用パズル式カラー木版を組み合わせた混色刷り、和紙またはクリーム・レイド紙
- 所蔵
- ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ノルウェー国立美術館、ムンク美術館など
Madonna
1895年
✦ 見どころ(技法・色彩)
石版画(リトグラフ)用のクレヨンによる粗い描線と、液状インクの平塗りを精妙に組み合わせた技法が見どころです。最大の特徴は、裸婦を包み込むように描かれた精子と胎児の境界線です。これは当初、油彩画の額縁に手彫りされていたものを、版画の版面自体に一体化させた画期的な試みでした。女性の頭上に輝く深紅の光輪が、モノクロームに近い画面の中で強烈なアクセントとなっています。
✦ この絵の舞台
この絵の舞台は、実在する地理的な場所ではありません。恍惚とした性行為の瞬間に、女性の精神が到達する無重力的で深海的な宇宙空間が描かれています。周囲をうねるように流れる曲線は、女性から放射される霊的なエネルギーや、生殖細胞が浮遊する羊水の揺らぎを表現しています。生と死が交錯する、超越的な次元を視覚化した特異な空間です。
✦ 時代背景
1895年当時、ヨーロッパ社会では女性の社会進出や性の自己決定権を巡る激しい議論が巻き起こっていました。ムンクはベルリンのカフェ「黒い子豚」を拠点とする前衛的なグループの中心におり、そこでは精神分析やニーチェ哲学、女性の持つ「生殖能力と宿命の女」としての二面性が連日議論されていました。本作は、そうした世紀末の新しいジェンダー観や思想的背景を色濃く反映して誕生しました。
目を閉じ、頭をのけぞらせて恍惚とした表情を浮かべる裸の女性。
彼女の頭上には赤い光輪が輝き、画面の周囲をうねるような境界線が囲んでいます。
左下には、うずくまるような小さな姿。
『マドンナ』と名付けられたこの作品。
19世紀末の象徴主義美術における頂点であり、ムンクの最大の問題作です。
1895年に制作されたこの石版画は、流麗な曲線と洗練されたデザインが特徴です。
女性の神秘的な姿を完璧に捉えた傑作として、長く語られてきました。
最初からこの完成されたヴィジョンが画家の頭の中にあった。
そして、それがそのまま版画として定着されたかのように見えます。
でも実は、この完璧な構図は、最初からこの形だったわけではありません。
近年の科学的な調査によって、ある事実が判明しました。
この絵の下に隠されていた、画家の迷いと試行錯誤の痕跡が発見されたのです。
近年、ノルウェー国立美術館でのこと。
修復士ティエリー・フォードらが調査を行いました。
キュレーターのヴィベケ・ヴォーラン・ハンセンも共に。
同館が所蔵する油彩版の『マドンナ』を、赤外線カメラで調べたのです。
すると、絵肌の下から思いがけないものが見つかりました。
両腕をだらりと下ろした、全く異なる構図の初期スケッチが隠されていたのです。
1894年に完成した油彩画は、制作の最初期プロセスでした。
ムンクはそこで、構図の試行錯誤を重ねていたのです。
1895年、ムンクはベルリンにいました。
カフェ「黒い子豚」を拠点とする、前衛的なグループの中心にいたのです。
当時のヨーロッパ社会では、女性の社会進出を巡る激しい議論が起きていました。
性の自己決定権についても同様です。
このサークルでも、連日議論が交わされていました。
精神分析やニーチェ哲学。
そして、女性の持つ「生殖能力と宿命の女」としての二面性について。
ムンクは、カトリック教会の聖母マリア信仰を、生々しいエロティシズムと結びつけようとしました。
近代女性の性を、「聖なるもの」と「死への予兆」から再解釈しようと試みたのです。
1894年。
ポーランドの小説家スタニスワフ・プシビシェフスキが、あるテキストを発表します。
ムンクの先駆的な油彩習作『マドンナの顔』に触発されたものでした。
女性が懐妊と愛の恍惚の中で見せる「海洋的な美しさ」を絶賛したのです。
この分析に、ムンクは強い影響を受けました。
油彩画での構図的な試行錯誤。
そこを経て、1895年、この石版画へとデザインを完璧に洗練させていったのです。

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