The Fighting Temeraire, tugged to her last Berth to be broken up, 1838 解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年
1839年

- 寸法
- 90.7 × 121.6 cm
- 技法・素材
- 油彩・カンヴァス
- 所蔵
- ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
史実を曲げてでも描き出した、木造帆船時代の終焉と新時代への哀歌。国家に捧げられた殉教的エレジーとして刻み込んだ、老兵の死と産業革命の未来。
✦ 見どころ(技法・色彩)
画面右側の夕日と雲には、絵具を厚く盛り上げるインパスト技法が施され、物理的な凸凹が光を反射します。一方、水面や戦艦の船体には、薄い透明な絵具を重ねる技法や、乾いた筆で絵具を擦り付ける技法が駆使されています。これにより、光の透過感と幽霊のような半透明感が見事に表現されています。
✦ この絵の舞台
この絵の舞台は、英国ケント州の海軍基地シーネスから、ロンドン東南部のロザハイスにある船体解体事業所に至るテムズ川の水路です。1838年9月の大潮の時期に、実際にテムズ川を遡上する曳航作業が行われました。ターナーは幼少期からこの水路の情景を熟知していましたが、絵画では地理的正確性を犠牲にして再構成しています。
✦ 時代背景
1830年代のイギリスは、激しい技術革新と社会的構造変化の只中にありました。産業革命が本格化し、外輪式蒸気船や鉄道網が急速に拡大。風力を頼りとする木造帆船から、石炭と蒸気で動く鉄と金属の時代への移行期です。ナポレオン戦争終結に伴い不要となった膨大な数の木造戦艦が、次々と解体処分されていました。
青白く幽霊のように浮かぶ巨大な木造戦艦。
そのすぐ前を、黒く角張った小型の蒸気船が進んでいます。
高く伸びた煙突から、赤褐色と火花を交えた濃厚な煙を吹き出す。
白く泡立つ引き波を立てながら、太い引き縄で大型戦艦を引っ張っています。
右半分には、真紅から黄金色へと移ろうまばゆい夕焼け空。
左上の空には、冷たい青白さを放つ三日月が静かに浮かんでいます。
トラファルガーの海戦で英国を勝利に導いた英雄、テメレール号。
その最後の航海を描いたこの絵は、長年ある逸話とともに語り継がれてきました。
ターナーが友人たちとテムズ川の小舟におり、曳航される実景を直接目撃した。
その場で感動し、制作を思い立ったのだと。
優美なマストを立てて解体場へ向かう老兵の姿。
誰もがその歴史的な瞬間の、真実の記録だと信じています。
でも実は、この絵に描かれた光景は、現実には存在しませんでした。
1838年9月。
老朽化したテメレール号は海軍省のオークションで売却されました。
解体業者ジョン・ビートソンに競り落とされ、テムズ川を曳航されます。
しかし、シーネスを出航する前に、すべてのマストや帆桁は撤去されていました。
売却された実船は、ただの空っぽの木造船体だったのです。
曳航した蒸気船も、実際はロンドン号とサムソン号の2隻でした。
さらに、西へ向かう船の右側に夕日が沈むことは地理的にあり得ません。
ターナーは、事実を徹底的に作り変えました。
当時63歳のターナー。
彼はロイヤル・アカデミーの重鎮でした。
確固たる社会的評価と経済的成功を収めていたのです。
誰からの注文でもなく、純粋な自主制作としてこの絵を描き始めます。
アトリエで、過去に放棄した未完成のカンヴァスを引っ張り出す。
下層には、別の帆船の大きな帆が描かれていました。
その上に、新聞報道や自身の記憶を頼りに、失われたマストを描き加えました。
地理的な正確さを犠牲にしてでも、右側に沈みゆく太陽を配置する。
左側には、昇りゆく新月を浮かべました。
風と帆によって駆け抜けた、英国海軍の英雄的な過去。
石炭と蒸気機関によって支配される、実用主義的な産業革命の未来。
彼は、過渡期のテクノロジーがもたらす悲壮感を表現したかった。
多くの富裕なコレクターが買い取りを申し出ました。
しかし、彼はすべて断ります。
「この絵は私の愛しい人だ」
彼はそう呼んで手元に置き、最初から国家へ寄贈する意思を固めていました。
生涯、この絵が売却されることはありませんでした。
この続き:約244文字

おすすめの絵画
出典・参考資料
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。


















