Snow Storm: Steam-Boat off a Harbour's Mouth 吹雪:港口を出る蒸気船
1842年

- 寸法
- 91.4 × 121.9 cm
- 技法・素材
- 油彩・カンヴァス
- 所蔵
- テート・ブリテン(ロンドン)
「石鹸水と白塗り」と嘲笑した無理解な批評家たちへの強烈な反逆。大自然の猛威と闘う人間の姿に、孤独な自らの芸術への執念を刻みつけた、魂の叫び。
✦ 見どころ(技法・色彩)
白下地を施したカンヴァスに、薄めた絵具を素早く塗り拡げて透明感のある層を作っています。その上から、硬い筆やペインティングナイフで厚塗りの絵具を乱雑に叩きつけました。画面を削り取ったり、指で擦りつけたりと、身体的な動作を使って暴風雪の衝撃を再現しています。伝統的な遠近法を排除した渦状の構図が特徴です。
✦ この絵の舞台
イングランド東海岸エセックス州の港町ハーウィッチ沖の港口です。当時のハーウィッチは、ヨーロッパ大陸へ向かう定期連絡船の主要な発着港でした。この海域は砂州や浅瀬が多く、夜間の荒天時には座礁のリスクが高い難所として知られていました。季節は冬の夜間、猛烈な吹雪の最中が描かれています。
✦ 時代背景
19世紀半ば、石炭火力による外輪蒸気船が実用化され、木造帆船に代わる交通革命が進行していました。ターナーは最新技術のもたらす煙や速度に強い関心を寄せていました。また、ファラデーの電磁気学実験や最新の光学理論など、先端科学の発見が画家の光と色調の解釈に直接的な影響を与えた時代でもあります。
猛烈な荒波に揉まれる一隻の蒸気船。
立ち上る黒煙が暴風雪と混ざり合い、巨大な渦を描いています。
この絵には、ターナー自身が語った有名な伝説があります。
嵐を正確に描くため、自らを蒸気船のマストに4時間も縛り付けさせた。
そう語り継がれてきました。
でも実は、この話はターナーの創作だったと結論づけられています。
制作当時の1841年から1842年。
ターナーはすでに67歳でした。
氷点下の冬の北海で、60代後半の彼が4時間もマストに縛られていれば。
間違いなく命を落としていたでしょう。
さらに、舞台とされるハーウィッチ港の記録を調べても。
彼が乗ったという「アリエル号」の運航記録は存在しませんでした。
嘘だった。
ではなぜ、彼はそんな作り話をしたのでしょうか。
当時のターナーは、英国美術界の至高の地位にありました。
ロイヤル・アカデミーの教授職を務め、経済的にも極めて裕福。
しかし、加齢による肉体的な衰えや健康面での不安を抱えていました。
それでも彼の制作意欲は衰えません。
この絵は誰からの注文でもなく、完全な自主制作として描かれました。
1842年の展覧会で、この絵が公開されたときのことです。
批評家たちは、この絵を激しく罵倒しました。
画面全体が「石鹸水と白塗り」に過ぎない、と。
ターナーはひどく傷つきました。
酷評を受けた夜、暖炉の脇で悔しそうに何度もつぶやいたといいます。
「石鹸水と漆喰だって?」
そして、友人に対してこう反論しました。
「私は理解されるために描いたのではない」
「このような光景が一体どんなものであるかを示すために描いたのだ」
彼は長年の観察で蓄積した経験を、キャンバスにぶつけていました。
最新の科学知識も取り入れています。
画面の渦巻く構図は、同時代の物理学者ファラデーの実験。
磁力線のパターンを応用したものでした。
彼は、大自然の圧倒的なパワーを描き出したかった。
観客にその「絶対的な正確性」を信じ込ませたかった。
だからこそ、自らを嵐に飛び込んだ主人公に仕立て上げたのです。
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出典・参考資料
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