Ancient Sound 古い響き

Ancient Sound
寸法
38.3 × 38.0 cm
技法・素材
紙ボード(カルトン)に油彩、木製フレームに釘留め
所蔵
バーゼル美術館
パウル・クレー

ドイツ

パウル・クレーPaul Klee

1879 – 1940

20世紀前半の西洋近代美術において、直感に頼りがちな絵画制作に徹底した構造主義的アプローチを持ち込んだスイス生まれの画家。

現実の政治的圧力と不穏な社会情勢に対する、普遍的な造形秩序による静かな抵抗。自らの音楽的資質と高度な色彩理論を融合させ、太古からの揺るぎない調和を刻みつけた。

✦ 見どころ(技法・色彩)

厚手の紙ボードを木製の裏枠に直接釘留めし、漆喰壁のようなザラついた下地の上に油彩で描かれています。遠近法は完全に排除され、外周部の暗い色から中央部の明るい色へと向かうグラデーションが組み込まれています。この補色効果と明度対比により、網膜上で色彩が微小に振動する視覚効果がもたらされ、視線が画面を往復することで音楽を聴くような時間の広がりを感じさせます。

✦ この絵の舞台

実在する地名や風景を描いたものではなく、クレーのアトリエ内で色彩理論と造形理論に基づいて構築された架空かつ自律的な「純粋色彩空間」です。1925年、バウハウスがワイマールからデッサウへと移転する激動の時期に、多忙な教授職と住居移転の合間を縫って制作されました。物理的な場所ではなく、音響と色彩が交錯する画家の内面世界が舞台となっています。

✦ 時代背景

1925年のヴァイマル共和国は比較的安定した時期にありましたが、地方政治では右翼勢力が伸長し、バウハウスへの圧迫を強めていました。美術界ではモンドリアンらによる厳格な幾何学抽象が隆盛していましたが、クレーは機械的な無個人性ではなく、絵具の手触りや有機的な明暗を残すことで、冷ややかな構成主義に対する「詩的・有機的抽象」という独自の立ち位置を確立しました。

✦ 鑑賞のための問い

外側の暗い色から中央の明るい色へ視線を動かすと、どんな音が聴こえてきそうですか?

暗い背景の中に、黄土色や橙色、明るい黄色の四角形がモザイクのように並んでいます。
中央に向かうほど明るく発光し、画面全体が脈動しているかのようです。

具象的なものは何も描かれていません。
そのため、直感の赴くままにランダムに四角形を並べた、近代的な抽象絵画に見えるかもしれません。
また、「古い響き」というタイトルから、古代の楽器や古い楽譜が隠されていると語られることもあります。
過去の伝統とは完全に断絶した、新しい時代の絵画。
一般的には、そう思われがちです。

でも実は、この絵に楽器は一切描かれていません。
そして、四角形の配置は決してランダムではなく、古典絵画への深い敬意と、厳密な計算によって導き出されたものでした。

1925年、ドイツ。
46歳になるパウル・クレーは、総合造形学校「バウハウス」の教授として多忙な日々を送っていました。
この年は彼にとって、パリで初の個展が開かれ、シュルレアリストたちから熱狂的に迎え入れられるなど、国際的な知名度が飛躍した輝かしい年です。
しかし同時に、足元の現実は大きく揺らいでいました。
右翼勢力の圧迫により、バウハウスへの州予算が削減。
革新的な教育機関はワイマールの校舎を閉鎖され、デッサウへの移転を余儀なくされたのです。

政治的な混乱。不穏な空気。
現実社会の揺れ動きに対し、クレーは誰に頼まれるでもなく、自主的にこの絵の制作に向かいました。
彼が目指したのは、美術の中に普遍的で揺るぎない造形秩序と調和を構築すること。
優れたヴァイオリニストでもあったクレーは、バッハやモーツァルトの多声的な音楽構造を、平面上に展開しようと試みました。
画面を覆うカラー・ブロックは、単なる模様ではなく、音符や音色の視覚的な代用物です。
面積の比率や明暗の階調は、色彩学と音階の理論に基づいて厳密に計算され、配置されています。

さらに彼は、古典絵画の伝統を切り捨てたわけではありませんでした。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に見られるような、暗闇から光が浮かび上がる連続的な明暗変化。
クレーはそれを、格子という現代的な形へと置き換えたのです。
厚手の紙ボードに漆喰のようなザラついた下地を作り、油彩で描かれた不均一な表面。
機械的で冷ややかな幾何学模様ではなく、絵具の手触りや色彩の深みを残すことで、彼は冷たい構成主義に対する「詩的で有機的な抽象」という独自の立ち位置を確立しました。

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