Apollon and Marsyas アポロンとマルシュアス
1886年

- 寸法
- 45 × 55 cm
- 技法・素材
- 厚紙に油彩
- 所蔵
- 個人蔵
✦ 見どころ(技法・色彩)
凄惨な処刑の場面を直接描くことを避け、対決の瞬間の心理的な緊張感を描き出しています。勝敗は肉体の描写によって最初から明白に示されています。アポロンの肉体は理想化されたギリシャ彫刻のような均整を持ち、自ら光を放つような明るい肌で描かれています。対照的に、マルシュアスの肉体は薄暗い陰影の中に沈み込んでおり、両者の対比が際立っています。
✦ この絵の舞台
オウィディウスの叙事詩『変身物語』に登場する、古代フリュギアの森が舞台です。理性の神アポロンとサテュロスのマルシュアスによる悲劇的な音楽対決が行われています。背景にそびえ立つ黒々としたイトスギ(サイプレス)は、古代ローマ世界において「喪」や「死・冥界」を象徴する木であり、神に挑戦したマルシュアスに待ち受ける凄惨な運命を静かに暗示しています。
✦ 時代背景
1886年当時、ハンス・トーマは批評家からの無視とパトロンの不在に苦しみ、自身の芸術的価値について深い葛藤を抱えていました。1890年にミュンヘンで初の個展を成功させる直前のこの時期、彼は自らの不遇な闘いを、高慢な神に命がけで挑むマルシュアスの傲慢さ(ヒュブリス)に投影し、古典の主題を通じて芸術家としての実存的危機を表現していました。
薄暗い森の中で、二人の男が静かに向かい合っています。
光り輝く肌を持つ理性の神アポロンと、陰影の中に沈み込むように座るサテュロスのマルシュアス。
背景には3人のミューズが控えめに描かれ、この残酷な音楽対決の審判員として静かに見守っています。
ギリシャ神話において、神に戦いを挑んだマルシュアスには、生きたまま皮を剥がれるという凄惨な運命が待ち受けています。
背景にそびえる黒々としたイトスギは、古代ローマにおいて「死」や「冥界」を象徴する木。
この木々の配置自体が、彼に迫り来る絶望的な結末を暗示しているのです。
一般的にこの絵は、画家ハンス・トーマ自身の苦悩を投影した作品として語られます。
1886年当時、トーマは批評家から執拗に無視され、パトロンもつかず、自身の芸術的価値について深い葛藤の中にありました。
彼は、高慢な神に命がけで挑むマルシュアスの姿に、不遇な闘いを続ける自分自身を重ね合わせていたのです。
1890年にミュンヘンで大成功を収めるまでの数年間、彼は古典の主題を借りて、芸術家としての実存的な危機を描き出していました。
でも実は、この一枚の絵には、神話の世界や画家の苦悩にとどまらない、もうひとつの悲劇が刻まれています。
それは、20世紀のヨーロッパを覆い尽くした、理不尽な暴力の記憶。
物語の主役は、かつてこの絵を所有していた一人の男性です。
彼の名前は、アドルフ・ベンジンガー。
ドイツのマンハイムで成功を収めた、著名なユダヤ人の化学実業家でした。
彼はこの静謐な神話画を愛し、自らのコレクションとして大切に保管していました。
しかし、時代は彼からすべてを奪い去ります。
ナチス政権が台頭し、ユダヤ人への迫害が激化。
ベンジンガーの平穏な生活は、足元から崩れ去っていきました。
1939年までに、彼は築き上げたすべての資産を奪われます。
そして1940年。
彼が愛したこの絵もまた、ナチスの主導による差別的な財産接収の一環として、強制競売にかけられてしまったのです。
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出典・参考資料
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