Moonlight
1896年
✦ 見どころ(技法・色彩)
単一の版木の両面に彫り込みを施し、両側からプレスする手法を採用しています。さらに木目を活かしたカラーブロックを糸鋸で3分割して個別に着色し、組み合わせて刷り重ねました。吸水性の高い薄手の和紙を使うことで、インクが柔らかく染み込み、幽霊のように発光する効果を生んでいます。
✦ この絵の舞台
オーサゴールストランドに実在する黄色の下見板張りの邸宅と、白いピケットフェンスが舞台です。1893年の油彩画では全身が描かれ空間的距離がありましたが、本作では女性の顔周辺に視野が絞り込まれ、窓と樹木に挟まれた窒息しそうなクローズアップ空間となっています。
✦ 時代背景
1896年、ムンクはパリに滞在し、現地の高度な印刷文化に触発されて版画技術の刷新へとシフトしていました。当時のパリは版画復興運動の全盛期であり、ムンクは自身の心象風景をより幽玄かつ洗練された形で再現する手段として、カラー木版画などの実験を繰り返しました。
暗い夜の闇の中、青白く浮かび上がる女性の顔。
左側には月明かりを反射する小さな窓。
右側には不気味に枝葉を伸ばす樹木が迫っています。
『月光』。
静かな夜の情景から、ロマンチックで神秘的な女性像を思い浮かべるかもしれません。
静寂の中で物思いにふける、穏やかな時間を描いたものだと感じる人もいるでしょう。
でも実は、この絵に込められているのは、画家に終生消えない不信感と恐怖を植え付けた、絶望的な初恋の記憶なのです。
1885年、エドヴァルド・ムンクはミリー・タウロウという女性に出会います。
私記の中で「ハイベルグ夫人」と記された彼女は、ノルウェー軍の軍医大尉の妻でした。
この道ならぬ短い情事は、ムンクにとって初めての秘密の恋。
しかしそれは、同時に深い絶望をもたらすものでした。
親密な対人関係に対する恐怖は、その後も彼を長く苦しめることになります。
1896年、パリに滞在していたムンクは、この記憶を木版画として制作しました。
舞台は、彼が夏を過ごしたオーサゴールストランドです。
実在する黄色の下見板張りの邸宅と、白いピケットフェンスが描かれています。
1893年に描かれた同じテーマの油彩画では、女性のほぼ全身が描かれていました。
背景の夜の闇と月明かりとの間には、豊かな空間的距離が存在していたのです。
しかし、この木版画では、視野を極限まで女性の顔周辺へと絞り込んでいます。
ムンクは、この作品のために極めて複雑な実験的アプローチをとりました。
一枚の版木の表と裏の両面に異なる要素を彫り、紙の両側から順次プレスしたのです。
さらに別の版木を糸鋸で3つに切り分けます。
それぞれに異なる色を着色し、再び組み合わせて刷り重ねました。
吸水性に富んだ薄手の和紙を使うことで、インクの粒子が繊維に柔らかく染み込みます。
月光に照らされた女性の顔が、夜の闇の中で幽霊のように白く発光して見えます。

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