Poppy Field (Giverny) コクリコの野(ジヴェルニー)
1890年

- 寸法
- 61.2 × 93.1 cm
- 技法・素材
- 油彩、麻地キャンバス
- 所蔵
- シカゴ美術館
✦ 見どころ(技法・色彩)
長く平行に走る水平の筆跡で緑の野草を描き、その上に純粋な赤い顔料を小さな点のように叩き込むことで、風に揺れるコクリコの震えを表現しています。絵の具が織物のような平面的で装飾的な質感を生み出しており、同時代の点描主義に対するモネなりのアプローチとも言える精緻な色彩構成が見どころです。
✦ この絵の舞台
ジヴェルニーのモネの自宅から南へ徒歩10分ほどの「レ・ゼサール」と呼ばれる農地です。エプト川と運河に挟まれた平坦な野原で、背景にはモネの自宅裏の丘陵地帯が広がっています。画面を縦に区切るポプラの木々の配列から、ジヴェルニーの池の西側から隣村ヴァルノンの方向を向いて描かれたことが分かっています。
✦ 時代背景
1890年夏、モネは亡き友マネの遺作『オランピア』をフランス国家に買い取らせるための募金活動を成功させ、1年間の空白を経て画業に復帰しました。この時期、彼は同じ構図で複数のキャンバスを同時に進める手法を試みており、これが直後の『積みわら』から本格化する「連作」の直接的な先駆けとなりました。
風にそよぐ緑の野草の中に、赤いコクリコの花が点々と咲き乱れています。
遠くにはポプラの木々が立ち並び、のどかなジヴェルニーの風景が広がっています。
モネが愛した、穏やかで美しい田園風景。
光の揺らめきを捉えた、印象派らしい一枚に見えます。
でも実は、この絵の下には全く別の風景が隠されています。
シカゴ美術館の科学調査が、驚くべき事実を明らかにしました。
赤外線とX線が捉えたのは、画面の上までそびえ立つ荒々しい崖の稜線。
のどかな野原の下には、かつてモネが描いたノルマンディーの海辺、エトルタの白亜の絶壁が眠っていたのです。
なぜ、モネは古い絵の上に別の風景を描いたのでしょうか。
時計の針を少し戻します。
1889年6月から1890年の夏にかけて。
モネは、絵の筆を一本も握らない空白の1年間を過ごしました。
亡き友、エドゥアール・マネのためです。
1883年にこの世を去ったマネ。
彼の遺作である傑作『オランピア』が、アメリカのコレクターに売却されようとしていました。
モネはそれを阻止し、残された未亡人を救うために立ち上がります。
フランス国家に買い取らせる。
そのために、約2万フランという大金を集める募金運動の陣頭指揮を執ったのです。
全国を巻き込んだ、大規模なプロジェクトでした。
奔走の日々。
自分の絵を描く時間は、全くありませんでした。
そして1890年の夏。
ついにプロジェクトは成功を収めます。
ようやく画業に復帰したモネ。
彼が向かったのは、ジヴェルニーの自宅から歩いて10分ほどの「レ・ゼサール」という農地でした。
エプト川と運河に挟まれた、平坦な野原。
失われた1年間を取り戻すかのように、彼は猛然と制作を再開します。
その時、アトリエから引きずり出してきたのが、古いキャンバスでした。
1883年や1885年にエトルタで描き殴り、そのまま放置していた未完成の崖の絵。
経済的な理由だったのか、単なるアトリエの整理だったのかは分かりません。
モネは、すでにカチカチに固まった崖の絵の具を削り落とすことすらしませんでした。
荒々しい岩肌の上に、直接、緑の野草を塗り重ねていったのです。
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