Album of Sketches by Katsushika Hokusai and His Disciples Pl.55 (19th century) 北斎及門下生画帖より(第55葉)

- 寸法
- 約 39.1 × 27.1 cm または 約 39.4 × 26.7 cm
- 技法・素材
- 紙本墨画、または墨画淡彩
- 所蔵
- メトロポリタン美術館
✦ 見どころ(技法・色彩)
墨の単色で描かれた肉筆画。不要な線を省く「減筆法」と、線の太さに変化をつける「肥痩線」により、最小限の筆致で衣服の質感や人物の立体感を的確に表現しています。
✦ この絵の舞台
江戸時代後期の日常風景。特定の背景は描かれず、純粋な紙の余白の中に人物が配置されています。これにより、対象の動きや姿勢そのものに焦点が当てられています。
✦ 時代背景
19世紀前半から中期。天保の改革による奢侈禁止令で華美な錦絵が制限される中、絵師たちは検閲を避け、教育的な絵手本や肉筆画へと活動の場を移していった時代です。
頭巾を深く被り、背中に三味線のような弦楽器を背負った人物。
座り込んで書物に目を落とすその後ろ姿が、墨の線だけで捉えられています。
1812年、葛飾北斎は名古屋の門人・牧墨僊の邸宅に半年ほど滞在しました。
そこで彼は寝食を忘れ、周囲の人々のありとあらゆる姿勢を帳面に素描し続けます。
商人、職人、旅人。
風に煽られる人物や、転ぶ瞬間の体勢。
この時に描かれた300余りのスケッチが、のちにベストセラーとなる『北斎漫画』の原型となりました。
そして、一門の弟子たちが作画を学ぶための「動作のパターン集」へと発展していったのです。
1841年から始まった天保の改革は、浮世絵界に厳しい規制をもたらしました。
華美な多色摺りの錦絵は贅沢品として弾圧されます。
お上の検閲が厳しくなる中、北斎一門は生き残りをかけました。
彼らは、検閲の手が及びにくい教育用の「絵手本」や、手描きの肉筆画へと活動の主軸を移したのです。
弟子たちに作画の基本を示すためのドローイング集を作ることは、単なる教育ではありませんでした。
それは、工房の技術を維持し、北斎ブランドの価値を次世代へ伝承するための、必要不可欠な防衛手段だったのです。
この続き:約298文字

無料登録で「あなたのための美術館」へ
名画と名曲の物語を、「あなたのための美術館」で無料で読む
おすすめの絵画
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。



















