Idylle 牧歌
1884年

- 寸法
- 49.7 × 74 cm
- 技法・素材
- カンヴァスに油彩
- 所蔵
- ウィーン・ミュージアム
✦ 見どころ(技法・色彩)
彫刻のような立体感と、平面的な装飾デザインの融合が見どころです。外側に座る青年たちの肉体は三次元的にリアルに描かれる一方、中央の母子が収まる円形の枠は二次元的なパターンとして機能しています。また、大理石を思わせる冷たいグレートーンを基調としつつ、バラの赤やピンクが鮮やかなコントラストを生み出しています。
✦ この絵の舞台
現実の風景ではなく、古代ギリシャ・ローマの古典的伝統に基づいて構築された架空の神殿空間です。中央の円形の枠(トンド)には、家族愛や豊穣を象徴する母子が描かれています。その周囲には、冷徹な大理石の建築構造と、絡み合う鮮やかなバラの蔦といった有機的なモチーフが対比的に配され、高度に寓意的な世界が広がっています。
✦ 時代背景
1884年のウィーンは、壮大な都市改造計画「リンクシュトラーセ」建設の熱狂の中にありました。公共建造物を飾る壁画や天井画の需要が激増する中、美術界を支配していた画家ハンス・マカルトが急死します。この巨大な空白を埋めるべく、若きクリムトたち「芸術家商会」が次世代の旗手として台頭していく、まさに転換期の時代でした。
中央の円形の枠の中で、母親が二人の幼い子供に液体を与えています。
その両脇には、筋骨隆々とした二人の裸体の青年。
彼らはどこか虚ろな表情で、画面の外へと視線を逸らして腰掛けています。
大理石のような冷たい石の質感。
神話の一場面を思わせる、厳格な左右対称の構成。
一見すると、19世紀の伝統的で保守的な古典主義の絵画に見えるかもしれません。
実は、この作品には、のちのクリムトの代名詞となる「黄金様式」の秘密がすでに隠されているのです。
1884年、ウィーン。
当時22歳だったクリムトは、出版社ゲルラッハ&シェンクから図案集『アレゴリーとエンブレム』の原画を依頼されます。
そして一気呵成に描き上げたのが、この絵でした。
同じ年、ウィーンの美術界を支配していた画家ハンス・マカルトが44歳で急死します。
巨大な空白が生まれた美術界。
次世代の才能が、強く求められていました。
クリムトは弟のエルンストや親友のフランツ・マッチとともに、共同アトリエを構えていました。
場所はザントヴィルトガッセ8番地。
アトリエにはルーマニア王の城のための大型習作や、古典彫刻の石膏ギプスが所狭しと並んでいたといいます。
彼らは互いの絵に筆を入れ合いながら、帝国全土の劇場装飾を驚異的なペースでこなしていました。
この絵は、そんな若きクリムトが、自らの圧倒的な技術力を世に示すための野心作でもありました。
それから17年後の1901年。
クリムトはウィーン大学の天井画『哲学』や『医学』をめぐり、凄まじいバッシングの渦中にありました。
彼が描いた生々しい裸体の群像。
それが「学問の尊厳を汚す不道徳なポルノグラフィ」だと、大学教授陣や保守派の政治家から激しく非難されたのです。
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出典・参考資料
ほかの画家
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