Apples and Grapes リンゴとブドウ
1880年

- 寸法
- 65.0 × 81.0 cm
- 技法・素材
- 油彩、麻キャンバス
- 所蔵
- シカゴ美術館
✦ 見どころ(技法・色彩)
テーブルの面を極端に手前へ傾斜させ、背景の奥行きを抹消する構図は、セザンヌの静物画への接近を示しています。白いテーブルクロスは青や紫、グレーの細かな水平方向のタッチで描かれ、これは彼が描いてきた水面の光の屈折描写と完全に一致します。また、濡れた絵の具の境界線を尖った道具で削り取り、下のクリーム色の地塗りを露出させる「インサイジング(彫り込み)」技法を駆使して果物の輪郭を際立たせています。
✦ この絵の舞台
パリから北西に約60キロメートル離れたセーヌ川沿いの静かな農村、ヴェトゥイユ。その自邸の屋根裏部屋のアトリエが舞台です。1879年の秋、この地方は激しい長雨に見舞われ、屋外での制作が物理的に不可能な状態が続きました。そのためモネは屋内に引きこもり、地元の秋の収穫物であるリンゴやブドウを浅い籐カゴに盛り、白いテーブルクロスの上に配置して静物画を構成しました。
✦ 時代背景
1879年から1880年にかけては、モネの生涯において精神的・経済的に最も過酷な試練の時期でした。1879年9月に最愛の妻カミーユが32歳で死去。さらに彼は、自身の2人の息子と、破産したパトロンの妻アリス・オシュデとその6人の子供たちを養う唯一の生計維持者となりました。風景画が冷遇される中、市場で売れ行きが良くコレクターが手に入れやすい「静物画」を戦略的に制作する必要に迫られていました。
白いテーブルクロスの上に、浅い籐カゴが置かれています。
中には、秋の収穫物であるブドウやリンゴがたっぷりと盛られています。
その周りにも、無造作にリンゴが転がっています。
テーブルの面は極端に手前へと傾斜しています。
背景の壁や部屋の奥行きは、ほとんど見えません。
クロード・モネといえば、外の光と空気を追い求めた風景画家のイメージ。
印象派の巨匠である彼が、なぜこのように部屋にこもったのでしょうか。
なぜ、古典的な静物画を描いたのでしょうか。
でも実は、この絵が描かれた1879年の秋から翌年にかけて。
彼は外で絵を描くことができない状況にありました。
一つは、ヴェトゥイユの村を襲った激しい長雨です。
そしてもう一つは、彼の人生を揺るがすほどの、深すぎる喪失感でした。
1879年9月5日。
数々の作品のモデルを務めてきた最愛の妻カミーユが、この世を去りました。
32歳でした。
深い悲しみのなかにあったモネ。
カミーユの面影が残る外の風景を見ることは、あまりにも辛かったのかもしれません。
屋根裏部屋のアトリエに閉じこもって描く静物画。
それは悲しみから身を守るための、自己防衛的なシェルターとして機能していました。
絵を売らなければ、生きていけない。
カミーユの死後、彼は自分の2人の息子を抱えていました。
さらに、事実上破産していたパトロンの家族も養わなければならなかったのです。
エマニュエル・オシュデの妻アリスと、彼女の6人の子供たち。
モネは、総勢10人近い大家族を養う唯一の生計維持者となっていました。
しかし、1879年の第4回印象派展に出品した風景画は、批評家から冷遇されます。
そこでモネは、市場で最も売れ行きが良いテーマを選びます。
コレクターが手に入れやすい静物画を、戦略的に制作せざるを得なかったのです。
後に彼の義理の娘となるアリスの娘マルト。
彼女は1879年11月後半のノートに、こう記しています。
「モネは、非常に愛らしい静物画の制作に一生懸命取り組んでいる」
そして1879年12月。
冬の寒風が吹きすさぶ中。
モネはヴェトゥイユの郵便局長から、50フランの旅費を借り受けました。
出来上がった静物画数点を携え、深い雪の中を徒歩と列車でパリへと向かったのです。
この時、美術商のジョルジュ・プティが静物画の一作を500フランで購入。
モネはなんとか、窮地をしのぐことができました。
この続き:約420文字

おすすめの絵画
ほかの画家
内容に誤りがある場合は こちらからご報告ください
このサイトは reCAPTCHA によって保護されており、Google のプライバシーポリシーと利用規約が適用されます。

_Claude_Monet_(W_P_76).webp)

















