Woman Seated under the Willows
1880年
✦ 見どころ(技法・色彩)
輪郭線を完全に解体し、純粋な色彩を並べることで空気感と立体感を表現しています。画面下部の草地は、東洋の書道を思わせるような太く素早い筆致で描かれ、風のざわめきを伝えています。女性の顔は詳細な描写を省き、一筆の桃色だけで光のあたる肌の温度感を象徴的に捉えています。
✦ この絵の舞台
本作が描かれたのは、パリから北西に約70キロメートル離れた農村ヴェトゥイユの川岸です。セーヌ川の緩やかな湾曲部に位置し、近代化が進むパリとは対照的に、豊かな自然と古い景観が残されていました。画面手前には生い茂る草地と柳の木が描かれ、背景にはセーヌ川の水面と対岸の集落が広がっています。
✦ 時代背景
1880年、モネは経済的・精神的な危機の渦中にありました。前年に妻を亡くし、絵の具も買えないほどの困窮状態に陥っていた彼は、印象派のグループ展への参加を拒否します。代わりに保守的なサロンへ出品し、自身初の個展を開催するなど、商業的な成功を取り戻すための必死の生存戦略を模索していた時期でした。
風に揺れる柳の木の下で、ひとりの女性が草地に腰を下ろしています。
対岸には、川沿いの建物がかすかに見えます。
穏やかな夏の日の、親密な家族の肖像。
長年、この絵は『柳の下のモネ夫人』と呼ばれてきました。
描かれているのは、モネの最愛の妻カミーユであると。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの図録でも、そう解説されてきたのです。
でも実は、この絵が描かれたとき、カミーユはこの世にいませんでした。
1878年夏。
モネは経済的な困窮から、パリ近郊の農村ヴェトゥイユへ移り住みます。
パトロンであったエルネスト・オシュデが破産。
モネ一家とオシュデ一家、合計12人での奇妙な共同生活が始まりました。
生活は限界でした。
翌1879年の9月。
病に倒れていたカミーユが、32歳の若さで息を引き取ります。
残されたのは、幼い長男ジャンと、まだ乳児だった次男ミシェル。
悲しみに暮れるモネと子供たちを支えたのは、パトロンの妻、アリス・オシュデでした。
彼女は実質的な母親代わりとして、家事を引き受けます。
そして、モネが戸外で絵を描くときには、自らモデルの役目も果たしました。
この絵に描かれているのは、アリス。
あるいは、彼女の娘のスザンヌかブランシュだと、現在では考えられています。
カミーユの死後、ヴェトゥイユは記録的な大寒波に襲われました。
セーヌ川は完全に凍りつきます。
モネは親友に「これ以上戦い続ける力がない」と絶望の手紙を書き送りました。
絵の具を買う金すら事欠く日々。
1880年。
過酷な冬が去り、ヴェトゥイユにようやく暖かな光が戻ってきました。
モネは、印象派の仲間たちと決別します。
生き残るための、大きな賭けでした。
保守的なサロンへの出品。
そして、雑誌社の展示スペースでの個展の開催。
この絵は、そんな必死の闘いの中で描かれたのです。

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