Bazille and Camille (Study for Déjeuner sur l’Herbe )
1865年
✦ 見どころ(技法・色彩)
大作のための習作であるため、完成作を凌駕するほどのエネルギッシュで即興的な筆致に満ちています。パレットナイフや幅広の筆で絵の具が迅速に置かれ、樹冠はセロリ・グリーンやセージ・グリーンで簡略に捉えられています。衣服や地面に落ちる木漏れ日は、白と淡いクリーム色の強いストロークで直接的に再現されています。
✦ この絵の舞台
フォンテーヌブローの森の入り口にあたる、シャイイ=アン=ビエール周辺が舞台です。バルビゾン派の画家たちが戸外制作の拠点とした場所であり、若きモネにとっても自然の光を直接観察するための重要な修行の場でした。頭上の樹木からこぼれる斑入りの日光と、人物の相互作用が検証されています。
✦ 時代背景
1865年当時、サロンでは神話や歴史画が主流でしたが、モネたちは「今、ここにある近代生活」を描くことを志向しました。マネの『草上の昼食』がスキャンダルを巻き起こす中、モネは当時のブルジョワジーの現代衣装を克明に描写し、市民の健全な戸外のレジャーを主題に据えることで、絵画の現代化を試みました。
森の小道に立つ、一組の男女。
木漏れ日が、女性のスレートグレーのガウンに落ちている。
1865年の夏。
若きクロード・モネは、フォンテーヌブローの森にいた。
シャイイ=アン=ビエールの村。
彼は野心的な大作を計画していた。
縦4メートル、横6メートルに及ぶ『草上の昼食』。
マネの同名作品に挑むための、巨大な絵だ。
本作は、その大画面に配置する人物を検証するための習作である。
頭上の樹木からこぼれる光を、個別に記録しようとした。
モデルを務めたのは、のちに妻となるカミーユ。
そして、無二の親友であるフレデリック・バジールだった。
バジールは南仏の裕福な家庭に生まれ、医学を学ぶためにパリに出たが、絵画への情熱を抑えきれずにモネらの輪に加わった。
彼は極度に貧しいモネを自分のスタジオに居候させ、支援を惜しまなかった。
この夏も、モネの要請に応えてシャイイへやって来た。
モネが満足するまで、何度もポーズを取った。
だが、思わぬ事態。
モネが屋外での制作中に、脚を負傷してしまったのだ。
地元の宿屋で、身動きが取れなくなる。
医学生だったバジールは動いた。
宿屋のベッドに、滑車と重りを使った即席の牽引装置を組み立てた。
そして、親身になってモネの看病を続けた。
バジールは、その看病の様子を『即席の野戦病院』という絵に残している。

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