積みわら。ルーアンの大聖堂。ポプラ並木。睡蓮の池。
クロード・モネの作品を見ていると、同じ題材が何度も出てくることに気づきます。

しかも二、三枚ではありません。
積みわらは約30点、ルーアン大聖堂は30点以上、睡蓮にいたっては生涯で250点近くを描いています。
なぜ、そこまで同じものを描き続けたのでしょうか。
飽きなかったのか、と思いたくもなります。
その理由を知ると、モネの絵の見え方が変わります。
彼が描こうとしていたのは、積みわらでも大聖堂でもなかったのです。
描いていたのは、モノではなかった

1892年から1894年にかけて、モネはフランス北部の街ルーアンに滞在し、大聖堂の正面を繰り返し描き続けました。
大聖堂の向かいに部屋を借り、窓から見える同じファサードを、来る日も来る日も描いたのです。
出来上がった絵を並べてみると、不思議なことが起こります。
まったく同じ建物のはずなのに、一枚ごとに色がまるで違う。

ある絵では朝日を受けて青みがかった白に、別の絵では夕日を浴びて燃えるようなオレンジに、また別の絵では霧に沈んで灰色に。
石でできた灰色の建物が、藤色にも、緑にも、ピンクにも見えます。
モネが描いていたのは、大聖堂そのものではありませんでした。
その表面に、刻一刻と降り注ぐ光です。
彼はよくこう言っていました。
「自然はけっして止まってくれない」
同じ場所に立ち、同じものを見ていても、太陽の角度が変われば、雲が流れれば、季節が移れば、目に映る色はまったく別のものになる。
その移ろいこそが、モネにとっての主題でした。
だから一枚では足りない。
何枚も並べて初めて、「光が変化していく」という時間そのものが描けるのです。
積みわらの連作も同じです。

ジヴェルニーの自宅の近くにあった、ありふれた干し草の山。
誰も絵の題材にしようと思わないようなものを、モネは朝に、昼に、夕暮れに、雪の日に、繰り返し描きました。

主役は干し草ではなく、それを照らす光と空気でした。
何枚ものカンヴァスを、同時に
この描き方は、実際には相当に過酷なものでした。
光は待ってくれません。

ある瞬間の光を捉えようとしても、描いているあいだに太陽は動き、色は変わってしまう。
そこでモネがとった方法は、複数のカンヴァスを同時に立てておくことでした。光の条件が変わるたびに、その条件に対応するカンヴァスへ持ち替える。
朝の光の絵、昼の絵、曇りの日の絵。
何枚もの絵が、同時進行で少しずつ進んでいきました。
そして、その一枚一枚は思いのほか難航しました。
ルーアンの連作を描いていた頃、モネはたびたび絶望に陥っています。
思うように描けない、と苦しみながら、それでも通い続けました。
1895年、彼はそのうちの20点を選び、画商の画廊でまとめて展示します。
個々の絵ではなく、群として見せるためです。

並べられた大聖堂は、同じ建物でありながら、光によって刻々と姿を変えていく。
石という動かないものと、絶えず動く光。
その対比が、一室の中で目に見える形になりました。
この試みは、後の美術に大きな影響を与えます。
1895年にモスクワで積みわらの連作を見た若い画家が、強い衝撃を受けました。
ワシリー・カンディンスキーです。
彼は、描かれている「もの」が何かわからなくても絵は成立するのだと気づき、やがて抽象絵画へと歩き出します。
モネが光を追いかけた結果は、絵画が「何かを写すもの」であることをやめる、その入口にもなったのです。
見えなくなっていく目で

晩年、モネはジヴェルニーの自宅に日本風の庭と池をつくり、睡蓮を描き続けました。ここでも彼は、同じ池を、同じ睡蓮を、繰り返し描いています。
けれど、この時期の彼には、別の事情が加わっていました。目が見えなくなり始めていたのです。
モネが白内障の症状に悩まされ始めたのは、60代半ばの1905年頃のことでした。水晶体が濁り、黄色く変色していく病気です。
彼は医師にこう訴えています。
「もう色を同じ強さで感じられない、赤は濁って見え、ピンクは味気なく、中間の色調は自分から逃げていく。」

光を描くことに人生を捧げた画家が、その光を正しく見られなくなっていく。
これ以上に残酷なことがあるでしょうか。
やがて症状は進み、絵具のチューブの色を見分けることさえ難しくなります。
彼はチューブに大きな文字でラベルを貼り、パレットの上の絵具の位置を毎日きっちり同じにして、記憶を頼りに色を選ぶようになりました。
この頃の睡蓮の絵は、青や緑が失われ、赤や黄がむき出しになり、輪郭が溶けていきます。

私たちが「抽象的で美しい」と感じるあの晩年の画面は、意図した様式の変化というより、彼の目に本当にそう見えていた世界でした。
それでも、モネは手術を拒み続けました。
同じ印象派の画家メアリー・カサットが手術の後に絵を描けなくなったことを知っていたからです。
手術を勧められるたびに断り、こう書き送っています。
「この乏しい視力でやっていく方がいい、必要なら絵をやめてもいい、けれど自分が愛するものを少しでも見ていたい。」
結局、1923年、追い詰められた彼はついに右目の手術を受けます。
視力はある程度戻りましたが、色の見え方は完全には元に戻りませんでした。
術後、彼は病の時期に描いた自作の多くを見て失望し、その手で破棄しています。
同じ風景は、二度と現れない

なぜモネは同じ風景を何枚も描いたのか。
答えは、同じ風景など一度もなかったからです。
彼にとって、同じ場所に立つことは、同じものを見ることを意味しませんでした。
光が変われば、それはもう別の世界でした。
積みわらも、大聖堂も、睡蓮の池も、一瞬ごとに違う姿をしていた。
その移ろいを捕まえようとして、彼は何十枚ものカンヴァスを並べたのです。
そして最後には、その光を見る目そのものを失いかけながら、なお筆を握り続けました。

今度モネの絵を見るとき少し離れて、隣の一枚と見比べてみてください。
同じ題材のはずの二枚が、どれほど違って見えるか。
その差こそが、モネが本当に描きたかったものです。
彼が見ていたのは風景ではなく、そこに降り注いでいた、二度と戻らない一瞬の光でした。
皆様もぜひノートに感想を書いてみてください!