ワルツ 第9番 変イ長調 作品69-1「別れのワルツ」

Waltz in A-flat majorOp. 69 No. 11835年作曲
ワルツ 第9番 変イ長調 作品69-1「別れのワルツ」
フレデリック・ショパン
フレデリック・ショパン

1810–1849 (ポーランド)

フリデリク・ショパンは、19世紀のロマン派音楽を代表するポーランド出身の作曲家であり、その生涯のほぼすべてをピアノ独奏曲に捧げた人物です。

この曲を一言で表すと

一時的な別れを惜しみ、再会を願う淡い希望の物語。ショパンが親しい人々のために書き残した、私的で親密なサロンの空気を今に伝えるワルツ。

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ワルツ 第9番 変イ長調 作品69-1「別れのワルツ」

曲解説・楽曲分析

どんな場面を描いた曲か ― なぜこのタイトルなのか

1835年9月、ドイツのドレスデンにあるランピールシェ・シュトラーセの邸宅。親しい人々が集う私的なサロンで、25歳のフレデリック・ショパンがピアノに向かっています。彼が弾き始めたのは、まだ誰も聴いたことのない新しいワルツでした。

演奏が終わると、聴き手たちは涙を浮かべて感動したと伝わります。この曲は、ショパンがパリへ帰る前日、親密な関係になりつつあった16歳のマリア・ヴォジンスカへ、別れの贈り物として手渡されたものでした。楽譜には「マリアお嬢様へ(Pour Mlle Marie)」という献呈の辞が記されていました。

「別れのワルツ」という感傷的なタイトルは、ショパン自身がつけたものではありません。彼は自分の器楽作品に描写的な標題をつける習慣を嫌悪していました。この名前は、彼の死後に友人であり音楽的遺言執行人となったユリアン・フォンタナが1855年に遺作として出版した際や、マリアとの悲恋の逸話が世に広まる過程で、後世の出版商や聴衆によって定着させられたものです。

この曲は、マリアとの悲劇的な永遠の別れの瞬間に、絶望の中で書かれたと言われがちですが、実際は異なります。当時のショパンは、ボヘミアの温泉地カールスバートで両親と約5年ぶりの再会を果たしたのち、ドレスデンでヴォジンスキ家と再会し、マリアとの恋愛感情の初期の幸福な高まりの中にありました。ショパンがこの曲を贈ったのは、ドレスデンでの幸福な滞在を終えてパリへ戻るという、一時的な旅立ちの挨拶に過ぎなかったのです。

実際の婚約内諾は翌年のことであり、破談になるのはさらに後の1837年です。作曲された時点では、絶望ではなく、また会える日を楽しみにする希望が込められていたというのが、現代の研究における共通の解釈です。この曲に込められたのは、本当に悲しみだけだったのでしょうか?

物語 ― この曲で何が起きているのか

音楽は、大きく三つの場面を行き来しながら進んでいきます。全体はロンド形式、あるいは複合三部形式と呼ばれる構造で設計されています。

最初の場面(主部)は、内省的な落胆や、ため息をつくようなニュアンスに満ちています。なだらかに下降していく旋律は、別れを惜しむ繊細な感情そのものです。ショパン自身が楽譜に「表情豊かに(con espressione)」と記したこの部分は、極めてセンチメンタルな性格を持っています。

しかし、次の場面(最初のエピソード)に入ると、音楽は主部の沈鬱な表情から一転して、より活動的で明るい回想を思わせるものになります。ワルツ特有のステップの弾みが強調され、生き生きとした活気が与えられます。ショパンがマリアに贈った自筆の楽譜には、ここで二つの声部が歌い交わすような仕掛けが施されており、まるで親密な対話が交わされているかのようです。

さらに別の場面(第二のエピソード)では、ショパンのルーツであるポーランドの民族舞踊、マズルカの要素が色濃く現れます。愛らしい旋律がシンプルな伴奏に乗って歌われ、やがて連続的に上昇しながら、抑制された哀愁から感情の昂ぶりへと変化していきます。その後、再び最初の場面へと戻り、静かに曲を閉じます。

このワルツが作曲された翌年の1836年、ショパンはマリアと再会した際に、彼女のアルバムに「指輪」という歌曲を書き込みました。「私は彼女に指輪を贈ったが、彼女は別の男を選んだ」という内容のこの歌は、結果的に二人の恋の終わりを予言するものとなりました。しかし、このワルツの中で語られているのは悲劇ではなく、温かな記憶と未来へのささやかな期待の物語なのです。

興味深いことに、この曲には後日談があります。後年、ショパンはこの曲の楽譜を別の女性にも贈っていますが、その一人であるシャーロット・ド・ロスチャイルド男爵夫人は、才能豊かな作曲家でもありました。彼女がショパンの指導のもとで書いたワルツやノクターンは、師の作風をあまりにも完璧に模倣していたため、彼女の死後、ショパン自身の遺作と誤認されて世界中で出版されるという稀に見る偽作事件を引き起こしました。このワルツは、そうした親密な師弟関係の結びつきをも生み出す源泉となっていたのです。

楽曲分析 ― 揺れ動く感情と親密な対話の構造

このワルツが持つ独特の陰影と深みは、どのような仕掛けから生まれているのでしょうか。二つの観点から紐解いてみます。

和声の機能:調性が宙づりにされる冒頭
この曲の主調は、フラットが4つ付く変イ長調という明るく穏やかな調です。しかし、曲の冒頭の4小節間は、同じ調号を持つ暗いヘ短調(あるいは変ホ短調)を思わせる、極めて不安定な和声進行をたどります。変イ長調の基本となる安定した和音(主和音)がはっきりと鳴らされるのは、曲が始まってから実に8小節も先のことです。意図的に調性感をぼかし、和声が宙づりになるこの構造が、聴く者に「別れの予感」や、ためらいの心理的効果を与えています。

楽器の加わり方と密度:失われたテノールの対旋律
曲の中間部(最初のエピソード)には、ショパンの自筆譜と、死後に出版された楽譜(フォンタナ版)との間に決定的な違いがあります。ショパン自身が書いた楽譜では、右手の旋律に対して、内声(テノール音域)に魅力的な対旋律(カウンターポイント)が書き込まれていました。実質的な2部合唱のように、多声的な対話(ポリフォニー)が行われる密度を持っていたのです。しかし、フォンタナが出版した版では、このテノール声部が完全に削除され、単なる右手旋律と和音伴奏という平易な構造(ホモフォニー)に変えられてしまいました。

この楽譜の違いは、後世の演奏スタイルにも大きな影響を与えました。20世紀前半までは、フォンタナ版に基づく、極めて感傷的で誇張されたテンポの揺れ(ルバート)を伴う演奏が主流でした。アルフレッド・コルトーの録音などがその代表です。しかし、20世紀後半になり、ショパンの自筆譜に忠実な原典版が普及すると、アルトゥール・ルービンシュタインやディヌ・リパッティのように、過度な感傷を避け、気品のある自然な呼吸で対旋律を構造的に聴かせる演奏が増えていきました。

現代の原典版(エキエル版など)では、小節の開始時にペダルを踏み込み、第3拍で離す「ハーフ・ペダル」の精密な指示や、装飾音(前打音)を拍と同時に打鍵する指示など、ショパンの意図を正確に再現するための研究が進んでいます。

知ってから聴くと、何が変わるか

この曲はマリアへの「唯一無二の愛の贈り物」として神聖視されてきましたが、実はショパンが後年、別の女性たちに再利用して贈っているという事実があります。1837年にはイタリアの外交官夫人エリザ・ペルッツィに、1842年にはパトロンであり門下生でもあったシャーロット・ド・ロスチャイルド男爵夫人に、ほぼ同一の旋律を書き直して自筆譜を献呈しています。個人的なインスピレーションから生まれたはずの曲が、パリの社交界における洗練された贈り物として、日常的に使われていたのです。

また、中間部における「対旋律」の存在も重要です。フォンタナ版の楽譜で育った世代の演奏では、この部分は美しいメロディと伴奏として素通りしてしまいます。しかし、自筆譜に基づく原典版の演奏を聴くと、右手のメロディの下で、もう一つの声がはっきりと歌い返していることに必ず気づいてしまうはずです。

永遠の別れを嘆く悲劇の曲だと思って聴いていました。けれど、作曲当時の幸福な背景と、複数の女性へ贈られた社交的な事実を知ってから聴くと、この曲は「洗練されたサロンにおける、親愛と再会を願う優雅な挨拶」へと変わります。

聴きどころ ― どこで、何が起きるか

このワルツは、過度な感傷に溺れることなく、気品のある自然な呼吸で味わうことで真価を発揮します。

主部の冒頭:ためらいがちな和声とため息の旋律

曲の滑り出しは、どこか足元がおぼつかないような不安定な響きで始まります。明るい長調の曲であるはずなのに、暗い短調の影がちらつき、調性が定まりません。その上を、装飾音を伴った旋律が、1オクターブの音域をかけてゆっくりと半音階で下降していきます。それはまるで、言葉にならないため息をついているかのようです。和音がようやく安定を見つける瞬間まで、その揺れ動く感情の機微を味わってみてください。

エピソードの第1部:明るい回想と親密な対話

沈鬱な主部が終わると、音楽は少し音量を上げ、生き生きとした表情を見せます。奇数小節で音が跳躍して上がり、偶数小節でなだらかに下がるという動きが、ワルツのステップの弾みを際立たせます。ここで耳を傾けたいのは、メロディの下で密かに歌われるもう一つの声です。二つの声部が寄り添い、時に掛け合うように進んでいきます。あなたにはこの二つの声部が、誰と誰の対話に聴こえますか?

エピソードの第2部:故郷の記憶を呼び覚ますマズルカの足音

曲の後半に現れるもう一つのエピソードでは、ワルツでありながら、ポーランドの民族舞踊であるマズルカのリズムが顔を出します。通常のワルツは1拍目に重心がありますが、ここでは2拍目にアクセントが置かれます。シンプルな伴奏の上で、二つの音が平行して動く愛らしい重音の旋律が歌われます。やがてその音型は連続的に上昇を始め、音量を増しながら、内に秘めていた感情を一気に昂ぶらせていきます。

ショパンが私的な空間で親しい人々のために弾いたこのワルツ。悲しみだけでなく、温かな回想や未来への希望、そして洗練された社交の精神が織り込まれたこの音楽は、今のあなたの耳に、どのような物語として響くでしょうか。

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