De tio största, nr 7, Mannaåldern 10の最大物 No. 7 成人期
1907年

- 寸法
- 315 × 235 cm
- 技法・素材
- 紙にテンペラ、カンヴァスに裏打ち
- 所蔵
- ヒルマ・アフ・クリント財団(ストックホルム)
目に見える世界だけを写し取る伝統美術への静かな決別。未来の人々が魂の真価を理解する日を信じて、不可視の宇宙的エネルギーをカンヴァスに刻み込んだ、孤独な予言の書。
✦ 見どころ(技法・色彩)
油彩ではなく、乾きの早い卵テンペラが使われています。3メートルを超える巨大な紙を床に広げ、迷いのない素早い筆致で描かれました。後にカンヴァスで裏打ちすることで、フレスコ画のような清涼な色彩と質感が保たれています。西洋の遠近法を捨てた、螺旋状の構図も特徴です。
✦ この絵の舞台
ストックホルムの中心部、ハムンガータン5番地にあったアトリエが舞台です。1階には人気のカフェや画廊があり、伝統派と革新派の芸術家たちが激しい論争を交わす文化の中心地でした。クリントはここで昼間はプロとして風景画を描き、密かにこの巨大な抽象画を制作していました。
✦ 時代背景
19世紀末から20世紀初頭は、X線や電磁波など「目に見えないエネルギー」が科学的に次々と証明された時代でした。同時に神智学などの精神世界への関心も高まっており、クリントの抽象表現はオカルトへの逃避ではなく、最先端の科学と不可視の現実に対する先鋭的な反応でした。
濃密な紫色の背景。
黄色や緑、赤の巨大な生命の形が浮かんでいます。
画面を覆う、柔らかな曲線。
植物の種子や細胞を思わせる形が、交錯しています。
美術界から完全に孤立した独学の変人による、オカルトめいた無意識の産物として語られることも少なくありません。
でも実は、彼女はエリート画家でした。
1907年、ストックホルム。
45歳のヒルマ・アフ・クリント。
彼女は王立美術院を優秀な成績で卒業しました。
都市の中心部、ハムンガータン5番地のアトリエ。
1階には人気のカフェや画廊がありました。
芸術家たちが激しい論争を交わす、文化の中心地。
そこで彼女は、肖像画や風景画の注文をこなすプロだったのです。
経済的にも、しっかりと自立していました。
しかし彼女は、密かにこの巨大な絵を描き始めます。
イーゼルには乗り切らない巨幅。
床に直接、3メートルを超える紙を広げました。
友人のコーネリア・セーデルベリらが手伝いました。
塗料を調合し、紙を敷き詰める。
わずか40日で、10枚もの大作を怒濤の勢いで描き上げます。
1枚あたり、たった4日で完成させた計算です。
それは、カンディンスキーが抽象画を発表する前のこと。
数年も先駆けていました。
最先端の科学がX線や電磁波を発見し、目に見えないエネルギーの世界が実在することを次々と証明し始めていた時代でした。
彼女は確かな技術と植物学の知識を駆使しました。
目に見えない精神の形を、視覚化しようとしたのです。
1908年。
彼女は人智学の指導者ルドルフ・シュタイナーを招きます。
自分のアトリエへ。
誰にも見せなかった自信作を、ついに披露しました。
しかし。
シュタイナーは厳しく批判します。
霊媒のような受動的な描き方だ、と。
同時代の人には理解できないだろう、と告げました。
この続き:約438文字

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