Gabriel Fauré

GabrielFauré

France·1845 – 1924

「音の歪み」という絶望の中で、近代フランス音楽の骨格を築いた革新者

Biography

A leading figure in French modern music and a master of French mélodie alongside Duparc and Debussy.
He studied under Saint-Saëns and others at the École de Musique Classique et Religieuse (Niedermeyer School) and served as an organist at churches such as La Madeleine.

In 1896, he was appointed professor of composition at the Paris Conservatoire, and from 1905 to 1920, he also served as its director.

His refined style is characterized by an avoidance of exaggerated dramatic expression, emphasizing order and restraint. He delicately wove emotions into graceful melodies, creating his own unique musical world.

Furthermore, he possessed a flexible harmonic sensibility unconstrained by old authorities, and his innovative modulation techniques were so striking that his teacher, Saint-Saëns, reportedly exclaimed, 'He's mad!'

Despite suffering from severe hearing loss in his later years, he continued his creative activities, forging a path towards a serene and profound artistic state.

作風の変遷 ― 沈黙と歪みが純粋な線声部を生むまで

初期のフォーレは、ニデルメイエール校での学びを基盤にサロンでの成功を収めました。1865年の卒業制作『ラシーヌの雅歌』では、グレゴリオ聖歌の構造と流麗な伴奏を融合させています。その後、1877年に初演された『ヴァイオリンソナタ第1番』で名声を確立しました。師のサン=サーンスが「若さのあらゆる歓喜と甘美さがある」と激賞したこの曲は、後に作家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に登場する架空のソナタのモデルにもなりました。

中期に入ると、宗教観の反映と象徴主義文学との出会いが作風を深めます。長年オルガニストを務めた経験から生まれた『レクイエム』では、伝統的な機能和声の限界を押し広げる革新的な調性感覚を示しました。また、詩人ポール・ヴェルレーヌの詩に感銘を受けて作曲された『5つのヴェネツィアの歌』などの歌曲群では、詩の持つあやふやな情緒を、音の色彩変化を連続させる転調技法によって見事に翻訳しています。

後期の作風は、聴覚障害の中での内的探求によって劇的に変化しました。1903年頃から始まった「複音聴覚」による音の歪みにより、物理的な響きに頼ることができなくなったフォーレは、純粋な線声部(ポリフォニー)の組み合わせとして音楽を思考するようになります。1924年、死の直前に脱稿された『弦楽四重奏曲』は、三つの楽器群が織りなす高潔な音世界を提示しており、ロマン派の感情表現と近代派の構造美が完全に融合した到達点となっています。

ワーグナー熱狂とフランス的洗練の確立

フォーレはドイツ音楽やワーグナーの拡大されたロマン主義を嫌悪し、純粋なフランス的洗練を守り抜いたと考えられがちです。しかし実際には、若い頃にサン=サーンスと共にバイロイト音楽祭に通い詰め、『ニーベルングの指環』や『パルジファル』を鑑賞して「あまりの感動に精神安定剤が必要なほどトランス状態になった」と語るほどの熱狂的なワーグナー被験者でした。

19世紀末のパリは空前のワーグナー・ブームに沸いており、多くの作曲家がその重厚なオーケストレーションや無限旋律を模倣しました。しかしフォーレは、ワーグナーの誇大妄想的な様式を表面上で真似ることはありませんでした。彼は自らのルーツであるグレゴリオ聖歌の古代旋法と、繊細なフランス語のアクセントに深く根を下ろす道を選んだのです。

その結果、ワーグナーから吸収した高度な半音階的転調技法のみを抽出し、自身の洗練された小編成の室内楽や歌曲の中に昇華させることに成功しました。大編成交響曲主義が至上とされた当時のドイツ主導の評価軸においては、「サロン向けの小品作曲家」と軽視される時期もありました。しかし、不協和音を流麗に処理する彼の革新的な調性感覚こそが、ドビュッシーやラヴェルへと繋がる近代フランス音楽の構造的基礎を築き上げたのです。

Timeline
  1. 1845(aged 0)

    フランス南部のパミエにて誕生する。

  2. 1854(aged 9)

    パリのニデルメイエール音楽学校に入学し、寄宿生活を始める。

  3. 1861(aged 16)

    赴任してきたカミーユ・サン=サーンスと出会い、生涯の師弟関係を結ぶ。

  4. 1865(aged 20)

    卒業制作『ラシーヌの雅歌』で作曲1等賞を受賞し、同校を卒業する。

  5. 1877(aged 32)

    『ヴァイオリンソナタ第1番』が初演され、大成功を収める。

  6. 1888(aged 43)

    マドレーヌ寺院にて『レクイエム』初稿版を自ら指揮して初演する。

  7. 1896(aged 51)

    パリ国立音楽院の作曲科教授に就任し、ラヴェルらを指導する。

  8. 1903(aged 58)

    重度の耳鳴りおよび複音聴覚を発症する。

  9. 1905(aged 60)

    パリ国立音楽院院長に就任し、激しい教育体制の革新を断行する。

  10. 1920(aged 75)

    聴覚障害の悪化と体力の限界により、パリ国立音楽院院長を辞任する。

  11. 1924(aged 79)

    最期の作品『弦楽四重奏曲』を脱稿し、11月4日にパリにて死去する。

Gabriel Fauré
私のレクイエムには『死の恐怖』が描かれていないと言われ、誰かがそれを『死の子守歌』と呼んだ。しかし、私にとって死とは苦痛に満ちた体験ではなく、上方の幸福への歓喜に満ちた解放、憧れなのだ
音楽評論家ルイ・アゲタンによるインタビュー(1902年)
今や、いくつかの音律やピッチが全く聞こえない時期がある…自分の音楽についても、他人の音楽についてもだ。私の両肩の上に、悲惨と失望の恐ろしい外套だけが重くのしかかっているように感じる
妻マリー宛の手紙(1903年)
私にとって芸術、とりわけ音楽とは、私たちを日常の存在から可能な限り高く引き上げるために存在する
マルグリット・ロングの回想録
モーツァルトの音楽を演奏するのはとりわけ難しい。その見事な明瞭さは絶対的な清潔さを要求する。微細な過ちも白紙の上の黒点のように目立ってしまうのだ
マルグリット・ロングの回想録等(伝)
Related Figures
カミーユ・サン=サーンス

カミーユ・サン=サーンス

Relation: Teacher

16歳の時に出会った終生の恩師であり、最新の音楽を教え導いた。

Maurice Ravel

Maurice Ravel

Relation: Student

音楽院の作曲科クラスで指導し、彼の類稀なる才能を終始支援した。

ポール・ヴェルレーヌ

ポール・ヴェルレーヌ

Relation: Influenced by

彼の詩のあやふやな情緒に感銘を受け、多くの歌曲のインスピレーションを得た。

マルセル・プルースト

マルセル・プルースト

Relation: Friend & patron

サロンで出会い、彼の小説『失われた時を求めて』の音楽的着想源となった。

エンマ・バルダック

エンマ・バルダック

Relation: Friend & patron

密接な交友を持ち、彼女の娘のために『ドリー組曲』を作曲した。

Music and art
are waiting for you.

Broaden your own world through the stories of art.
We will notify you by email when new articles are published.

Sign up free to read