
馬車を改造した移動式アトリエから街頭を密かに観察し、近代都市パリの光と陰を客観的な写実主義で記録し続けた画家。
LifeLife and works
1849年にロシア帝国のサンクトペテルブルクで生まれ、彫刻家の父が急逝した後に母とパリへ移住した。法律を学んでいたが普仏戦争を経て芸術の道へ進み、エコール・デ・ボザール(国立高等美術学校)でレオン・ボナに師事する。ここで解剖学的に正確な骨格のデッサンと、暗い背景からモデルを浮かび上がらせる明暗対比を徹底的に学んだ。
初期は古典的な肖像画を描いていたが、1876年のサロン・ド・パリ(官展)に出品した『埋葬からの帰途』で、喪服姿の会葬者たちを冷徹に描き反響を呼ぶ。以降、彼は新興ブルジョワジー(富裕な中産階級)が謳歌する洗練された日常へと画題を移していく。同窓のアルフレッド・ロールに宛てた手紙で「私はパリ以外のすべてのものを退屈に感じる」と記した通り、他の土地へ旅行することにはほとんど関心を示さなかった。
エドゥアール・マネやエドガー・ドガと親しく交流し、彼らの明るい色彩や細かい筆触を取り入れつつも、ボナから学んだ堅実な画面構成を維持した。彼は印象派のグループ展には一度も参加していない。都市の動態を正確に捉えるため、車窓のカーテンの隙間から外を覗ける馬車を用意し、突風に煽られて帽子を押さえる紳士やスカートがめくれる女性の姿をカメラのレンズのように捉えた。
華やかな大通りや高級菓子店を描いて富裕層やアメリカのコレクターから注文を集める一方で、都市の裏側にも視線を向けた。労働者階級が集まる公共集会所での熱狂的な演説や、深夜の安カフェで幻覚作用の強い酒であるアブサンを前に虚無的な表情を浮かべる男女、精神病院の隔離病棟など、社会的な孤立や貧困を主題とした作品も数多く残している。1891年には、ルカによる福音書の場面を当時のディナーサロンに置き換えた『パリサイ人の中のマグダラのマリア』を発表する。実在の思想家や政治家、そして当時最も有名だった高級娼婦をモデルに起用したこの作品は、カトリック教会から非難を浴びて社会問題化した。
1900年以降は制作のペースが落ち、国民美術協会の審査業務などに時間を費やすようになる。1914年に第一次世界大戦が始まると美術市場が冷え込み、自身のうつ病も重なって画作の依頼は減少していった。1935年に86歳で世を去った後、彼の作品はモダニズム美術の台頭によって長く忘れられていた。しかし1999年に全作品を網羅したカタログ・レゾネが出版され、カルナヴァレ博物館で大規模な回顧展が開催される。現在、同館にはパトロンであったアルマン・ドルヴィルから寄贈されたコレクションが常設展示されており、都市再開発によって整備された当時の建築や人々の装いがそのままの姿で壁面に並んでいる。





