
風景画の輪郭を光と大気の渦の中に解体し、近代絵画における抽象表現やフランス印象派への道を開いたイギリスの画家。
Life生涯
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンで理髪師の息子として生まれた。14歳で王立美術院(ロイヤル・アカデミー)の美術学校に入学し、建築製図や遠近法を学びながら、出版物用の地形図スケッチや古画の模写で収入を得ていく。1796年に初めて同アカデミーに出品した油彩画『海の漁師たち』では、暗雲から差し込む月光と小舟の燈火が波間を照らす明暗対比を描き出し、高い評価を獲得する。初期の彼は、17世紀オランダの海洋画やイギリスの地誌的水彩画の伝統を踏襲し、明瞭な構造を持つ作品を手がけていた。
1802年にフランスのルーヴル美術館やスイスを巡る初の大陸旅行を経験すると、彼の関心は自然現象の惨禍と人間の歴史的運命を対峙させることへと向かう。1812年に発表した『雪嵐:ハンニバルとその軍勢のアルプス越え』では、画面上部を覆う黒い雪嵐の巨大な渦が、歴史的英雄の威業を圧迫する構図を作り上げた。このとき彼は、展覧会のカタログに未刊行の自作詩『希望の誤謬』の詩句を初めて掲載している。絵画の主題に対して哲学的・道徳的な注釈を与えるこの手法は、視覚表現と文学的叙事を複合的に提示する独自の試みであった。
1819年に出発したイタリア長期旅行は、彼の色彩表現を大きく変えることになる。南欧の明るく澄んだ光に直面したことで、それまでの黒色や茶色を基調とした暗い地塗りから脱却し、黄色や白色を中心とした高明度の色彩を展開し始めた。同時に、ロイヤル・アカデミーで遠近法教授を務めていた彼は、ニュートン光学や水面の屈折理論を徹底的に研究し、「光とは色彩である」という理論を自らの講義ノートに書き残している。その理論を実証するかのように、彼の画面からは次第に固有的形態の輪郭線が消え去っていく。
こうした前衛的な表現の探求を裏で支えていたのは、彼自身の優れたビジネスセンスと強固な制作環境だった。貴族への作品売却だけでなく、ロンドンに個人の展示画廊を開設して自前の販売網を築き、自作の版画集の刊行で多角的な収入源を確保した。また、元理髪師の父ウィリアムは画廊の管理や絵の具の調合を引き受け、1829年に没するまで最忠実な助手として彼を支え続けた。得られた収入を株式や不動産に投資することで巨額の資産を築き、困窮することは生涯を通じて一度もなかった。
経済的な基盤を確立した彼は、晩年に向けて物質そのものを光と大気のエネルギーとして純粋に描出する試みを加速させる。1842年の『雪嵐―港の沖合の蒸気船』では、荒れ狂う高波と猛吹雪の中心に向かって渦巻く大気と水沫を描き出し、1844年の『雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道』では、雨煙る高架橋の上を突進してくる蒸気機関車を通じて、産業革命がもたらした速度という新しい視覚次元を絵画化した。当時の保守的な批評家からは「石灰と水彩の乱塗り」と嘲笑されたが、若き批評家ジョン・ラスキンが彼を擁護した。
1846年、彼はロンドンのチェルシーにある借家に移り住む。伴侶のソフィア・ブースとともに「ブース提督」という偽名を用い、社交界から姿を消して隠遁生活に入った。その地で澄み切った海の光やテムズ川に沈む夕日を観察し続け、1851年に76歳で息を引き取る。死後、約300点の油彩画と2万点を超える水彩・スケッチの全作品が国家に寄贈された。現在、それらの膨大な作品群は「ターナー遺贈」としてロンドンのテイト・ブリテンなどに収蔵されており、1870年代にロンドンへ亡命してきたクロード・モネやカミーユ・ピサロらによって研究されることになる。
Timeline 年表
1775
ロンドンのコヴェント・ガーデンにて理髪師の息子として生まれる
1789
14歳でロイヤル・アカデミー美術学校に入学許可を得る
1796
21歳で初の油彩画『海の漁師たち』をロイヤル・アカデミーに出品
1802
27歳でロイヤル・アカデミー正会員に昇格し、初の大陸旅行へ出発
1804
29歳でロンドンのハーレー・ストリートに個人の展示画廊を開設
1807
32歳でロイヤル・アカデミーの遠近法教授に就任
1812
37歳で『雪嵐:ハンニバルとその軍勢のアルプス越え』を出品
1819
44歳で初のイタリア長期旅行へ出発し、色彩が明るく変化する
1829
54歳で制作を裏で支え続けた父ウィリアムが死去
1839
64歳で代表作『戦艦テメレール号』を出品
1842
67歳で『雪嵐―港の沖合の蒸気船』を出品
1844
69歳で『雨、蒸気、速度―グレート・ウェスタン鉄道』を出品
1846
71歳でチェルシーの借家に移住し、偽名を用いて隠遁生活に入る
1851
76歳でチェルシーの自宅にて死去
1856
死後5年で裁判が結審し、全作品が国家に寄贈されターナー遺贈が確立






