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アクセリ・ガッレン=カッレラは1865年、ロシア帝国フィンランド大公国のポリに生まれた。スウェーデン語を話す上流中産階級の家庭に育った彼は、14歳で父を亡くして家計が困窮する中、画家の道を志す。1884年にパリへ渡り、アカデミー・ジュリアンなどで本格的な美術教育を受けた。この時期の彼は、屋外の自然光のもとで細部を正確に捉える外光派の描写法を吸収し、北欧農民のありのままの姿を緻密に描き出している。1885年に制作された『猫と老婆』は、農村の質素な生活を徹底したリアリズムで捉えたものであり、翌年のパリ・サロンで初入選を果たした。

パリでアカデミックな技術を修得する一方で、彼は近代都市の洗練された生活の中に潜む退廃に疑念を抱くようになる。彼が目を向けたのは、北欧の厳しい自然や古代の口承神話、そして市井の人々の素朴な日常であった。1890年、新婚旅行でカレリア地方へ赴いたことを機に、同国の口承文学『カレヴァラ』を主題とした制作を本格化させる。フランス仕込みの油彩技法を用いて神話世界を描き出した1891年の『アイノ神話』は、フィンランド元老院に買い上げられた。この頃から彼の作風は、明瞭な黒い輪郭線や平面的で装飾的な色面を用いる表現へと移行していく。

1894年、彼はルオヴェシの荒野に木造のアトリエ兼邸宅「カレラ」を自ら設計して建設を始める。ここでは絵画だけでなく、家具やテキスタイルなどの生活工芸全般を手がけた。しかし1895年、長女インピ・マルヤッタが白喉(ジフテリア)により4歳で急逝する。この精神的ショックの中、彼はロンドンへ渡って木版画やステンドグラスの技法を学び、ベルリンではエドヴァルド・ムンクと合同展を開催した。翌年に描かれた『サンポの防衛』や、実母をモデルに起用した1897年の『レンミンカイネンの母』は、強固な輪郭線と平坦な色面による空間構成が特徴であり、帝政ロシアの圧政下にあった民衆の意識を鼓舞することになる。

1900年のパリ万国博覧会では、フィンランド館の天井フレスコ画や手織り絨毯のデザインを担当し、国際的な大賞を受賞した。その後も彼の活動場所はヨーロッパにとどまらず、1909年には家族とともにイギリス領東アフリカ(現在のケニア)へ移住し、野生動物や先住民を描きながら狩猟生活を送る。さらに1920年代にはアメリカ合衆国のニューメキシコ州タオスに滞在し、ネイティブ・アメリカンの文化を観察した。熱帯の強烈な光や異文化の装飾様式に触れたことで、後期の作品は強烈な原色を多用するアプローチへと変化していった。

1918年にフィンランド内戦が発生すると、彼は白衛軍を支持し、マンネルヘイム将軍の副官として独立国家の軍服や階級章、勲章のデザインを一任された。晩年は国家からの恩給や教授職の報酬を得て経済的な安定を獲得し、1928年には息子ヨルマとともにヘルシンキのフィンランド国立博物館の天井フレスコ画を制作している。1931年にストックホルムで急逝した後、エスポーに自身で設計した城塞型アトリエ「タルヴァスペア」は、1961年に「ガッレン=カッレラ美術館」として公開された。また、彼が描いた『アイノ神話』や『レンミンカイネンの母』などの代表作は、現在もヘルシンキのアテネウム美術館に常設展示されている。

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