グスタフ・マーラー
占星術と東洋思想を音楽に宿し、イギリス音楽の語彙を拡張した探求者
グスターヴ・ホルストは、組曲『惑星』などの管弦楽作品を手がけ、20世紀初頭のイギリス音楽復興において独自の管弦楽法を確立した作曲家であり、音楽教育者です。1874年、イングランドのチェルトナムでピアニストの父のもとに生まれました。ホルスト家はラトビアにルーツを持ち、父は営業上の理由から貴族風の「フォン」を名乗っていました。しかし、第一次世界大戦中の反独感情による警察の監視や、YMCAの近東派遣時の利便性から、ホルストは1918年に法的手続きを経てこの接頭辞を捨て去り、市民とともに生きる道を選びました。
彼の音楽観を形作ったのは、王立音楽大学での決定的な出会いと同時代の思想でした。1895年に出会ったラルフ・ヴォーン・ウィリアムズとは、生涯にわたり互いの未完成スコアを率直に批評し合う深い友情を結びます。また、思想家ウィリアム・モリスが提唱した手仕事の尊重や「日常に根ざした芸術の解放」という理念に深く触発されました。この思想は、ロンドンのセントポール女学校やモーリー・カレッジで長年にわたりアマチュア演奏家や学生を指導し、実用的な市民音楽を普及させる彼の教育活動の根幹となりました。
創作の現場においては、徹底した知的探求心が発揮されました。代表作の組曲『惑星』は、天文学やSF的な宇宙描写を描いたものと言われがちですが、実際は占星術に基づく作品です。1913年のスペイン旅行で劇作家クリフォード・バックスから占星術を教わった彼は、各天体が人間の性格に与える心理的な原型を音楽で表現しました。また、東洋思想への傾倒も単なる異国趣味にとどまりません。古代インドの思想を真に理解するため、1908年からロンドン大学でサンスクリット語を自ら学び、原典から英訳して室内オペラ『サヴィトリ』などを作曲するという本格的な学術的探求を行いました。
1920年に『惑星』が全曲初演されると爆発的な成功を収めますが、彼はこの熱狂を苦々しく思っていました。1914年に友人のW. G. ウィッタカーへ「音楽は天国と同一であり、一時的な興奮や時間単位の快楽ではない」と書き送っていた彼にとって、大衆の狂熱は静かに作曲に向き合う時間を奪うものでした。晩年は過剰な装飾を削ぎ落とし、交響詩『エグドン・ヒース』のような冷徹で洗練された音響世界へと到達します。1934年に59歳で世を去るまで、自身の信じる芸術的誠実さを貫いた彼の姿勢は、次世代のイギリスの作曲家たちに多大な影響を与え続けています。
作風の変遷 ― 異国情緒から禁欲的な静寂へ
王立音楽大学時代、ホルストは師であるチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードから厳格な対位法とブラームス的な古典派技法を叩き込まれました。この基礎訓練は、後の実験的な対位法や無駄のない管弦楽法の土台となります。1902年に初演された交響曲『コッツウォルズ』では、社会主義思想家ウィリアム・モリスの死を追悼する楽章を設けるなど、同時代の思想に強く共鳴したロマン派的な表現が見られます。
1900年代後半から1910年代にかけて、彼の作風は独自の広がりを見せます。イギリス民謡の採集運動に加わり、その成果を『吹奏楽のための第2組曲』などに色彩豊かに反映させました。同時に、サンスクリット文学への深い探求から生まれた『リグ・ヴェーダからの合唱讃歌』では、古代東洋の神秘的な宗教観と変拍子を見事に融合させています。そして1914年から作曲された組曲『惑星』では、占星術のインスピレーションをもとに、強烈な不協和音や5/4拍子といった実験的な手法を駆使し、圧倒的な音響空間を作り上げました。
『惑星』の成功後、彼の音楽は過剰な装飾を削ぎ落とした、より内省的で禁欲的な方向へと向かいます。1927年に作曲された交響詩『エグドン・ヒース』は、トーマス・ハーディの小説に描かれた荒涼とした自然に着想を得た作品です。極度に削ぎ落とされた冷徹な響きは当時の聴衆を困惑させましたが、ホルスト自身はこれを自らの最高傑作とみなしていました。晩年の合唱曲や小品に至るまで、彼は大衆の期待に迎合することなく、洗練された静寂の音楽を追求し続けました。
『惑星』にまつわる通説と実像
組曲『惑星』はホルストの代名詞とも言える作品ですが、その成立背景にはいくつかの誤解が存在します。例えば、第1曲「火星、戦いをもたらす者」は、1914年に始まった第一次世界大戦の機械化兵器による大量殺戮を予見し、その恐怖を描いたものだと言われがちですが、実際は異なります。この曲のスケッチが完成したのは戦争が勃発する直前の1914年前半であり、ホルスト自身も「この曲に戦争の予言的意味合いはない」と一貫して否定していました。5/4拍子という変拍子や強烈な不協和音の実験として書かれた音楽が、直後に開戦したという歴史的偶然によって、聴衆や批評家に戦乱の恐怖と結びつけて受け取られたというのが歴史的事実です。
また、この組曲に「冥王星」が含まれていない理由について、ホルストが冥王星を悪魔的な星として嫌ったためだという説が語られることがあります。しかし、冥王星がアメリカの天文学者クライド・トンボーによって発見されたのは1930年のことです。作曲当時は天文学的に存在すら知られておらず、発見された際にもホルストは存命中でしたが、自身の占星術的・芸術的構成はすでに完結していると考え、補曲や改訂には一切の興味を示しませんでした。これらの事実は、彼が時流や大衆の解釈に流されず、自らの確固たる構想に基づいて創作に向き合っていた職人肌の芸術家であったことを物語っています。
- 1874
9月21日、イングランドのチェルトナムにて誕生する
- 1893
ロンドンの王立音楽大学に入学し、スタンフォードに師事する
- 1895
王立音楽大学にて終生の親友となるヴォーン・ウィリアムズと出会う
- 1905
ハマースミスのセントポール女学校の音楽長に就任する
- 1908
インド思想に傾倒し、室内オペラ『サヴィトリ』を作曲する
- 1914
占星術に着想を得た組曲『惑星』の作曲に着手する
- 1918
証書による法的手続きを行い、「グスターヴ・ホルスト」へ改名する
- 1920
組曲『惑星』の全曲公衆初演が行われ、爆発的な成功を収める
- 1927
自身が最高傑作とみなした交響詩『エグドン・ヒース』を作曲する
- 1934
5月25日、十二指腸潰瘍の手術後に心不全を併発しロンドンにて死去する
音楽は天国と同一であり、一時的な興奮や時間単位の快楽ではない。それは永遠の境地である。
すべての芸術家は自分が『成功者』にならないよう祈るべきだ。敗北者でいるならば、自分がなし得る最高の仕事に集中する素晴らしい機会が得られるのだから。
常に助言を求めよ、だが決してその助言に従うな。
それを作曲しないことが自分にとって明確な苦痛・障害にならない限り、決して何も作曲してはならない。

ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ
関係: 友人・支援者
生涯にわたり互いの未完成スコアを批評し合った最大の親友。

チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード
関係: 師
王立音楽大学時代の師。厳格な対位法と古典派技法を指導した。

クリフォード・バックス
関係: 友人・支援者
スペイン旅行中に占星術を伝授し、『惑星』着想の契機を作った劇作家。

ジェイン・ジョセフ
関係: 弟子
セントポール女学校の教え子。助手としてスコアの校正作業などを全面的に担った。

ウィリアム・モリス
関係: 影響を受けた人物
手仕事の尊重や芸術の解放を提唱し、ホルストの音楽観に深い影響を与えた。
Stories
この作曲家の特集記事は準備中です。ほかの作曲家のストーリーからお楽しみください。